バツイチ子持ちの私、母の介護、父との確執、不義理な兄たちとの遺産相続争い、成人する娘へのけじめ、唯一の癒しとなる愛猫のお話です。創作ではありません。
そこに愛はありますか?…突然の介護から…
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もうだめなのか…
2012-07-20-Fri  CATEGORY: 病院
翌日、私は午前6時にまた病院に戻った。
昨日と変わらない様子だが、昨日のように、何を言っても
問いかけには反応を示してくれない。
もう意識はないようだ。

午後、訪問看護の看護師らが見舞いに来てくれた。
集中治療室に入っているのを見て驚いていた。
母の耳元で「おかあさ~ん、相撲が始まるよ~。帰ろうよ~」と
声をかけてくれた。反応はなかった。

私は朝から、メソメソと泣いていたが、この訪問看護師の
声かけに、思わず涙がボロボロと出た。

母の延命措置はしないように主治医とは話していたので、
人工呼吸器はつけていない。
酸素マスクだけで、自力で呼吸をしている。
その姿はとてもけなげに見えて、私はずっと泣き続けていた。
もうダメか…と思った。

長男夫婦、三男夫婦にも連絡をいれ、
みんな駆けつけてくれて、そばでみんなで無言で見守った。

まるっきり、尿が出ていたい母なので、主治医も看護師も
もうダメだと思っているようだが、何も語らずずっと酸素や
心拍数のチェックだけを続けていた。

午後9時、もう危ない。長男はまったく母を気にかけない次男と
さすがにこの時には連絡をとりあっているようだった。
長男に電話ではこの状況は伝わらないだろうから、
直接、仲のいい長男が次男を呼びに行くことになった。
いくら見舞いに来なかったとはいえ、自分の母親の最後は見届けたいだろうと
思ったからである。

午後10時、長男に連れられて次男がくるが、危篤の母をちらっと見て、
「言いたいことはあるけど、もうええ!」と怒ってそのまま帰ってしまった。
意味がわからなかったが、どうやら母の最後は看取るつもりはないらしい。
誰も、次男を追いかけたりはしなかった。次男嫁はまったく来ていない。

つづく
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再び母、危篤…
2012-07-19-Thu  CATEGORY: 病院
元気になった母を見て、すっかり安心しきっていた数日後、
夕食介助を済ませたら少し呼吸が苦しそうにしているのに気づき、
やや嫌な予感を持ちながらも一度私は帰宅した。

その夜中の3時半に看護師から電話で起こされた。
酸素の数値がかなり悪く、また集中治療室に移したとのこと、
すぐに駆けつけようとしたが、看護師が今はまだ様子を見ているので、
朝に来てくださいと言われ、結局、私はそれから眠ることもできずに、
朝6時に病院へ行った。

母はまだ私が話しかけたら軽くうなずいて答えてくれた。
だが、目を開けることもなく、酸素マスクの酸素を必死で
呼吸しているだけだった。

呼吸を焦ってしている様子だったので「ゆっくり~」と話すと
深呼吸をしたりしてくれた。
そんな反応があり意識はまだあり、きっと大丈夫だろうと思った。
でも念のため、三男夫婦や長男嫁に連絡を入れた。

夕方に、三男夫婦、長男嫁のいる集中治療室で、私が母の耳元で
「みんなそばに居るよ~。でも次男夫婦はおらんでぇ~」と
言うと、長男が「次男嫁を呼ぶか?」と言った。
私はすぐに母の耳元で「次男嫁だけはイヤやんな~?」とふざけて言うと
母がすぐに大きく頭を縦にうなずいた!
「うわぁ!返事した!!よっぽどイヤなんやな~!」と私が言い、
これをみて、思わずみんなで笑ってしまった。
意識不明になっていても、サイコな嫁さんはイヤらしい。
みんながめいめい、「お母さん、大丈夫や、わかってる~♪」と
その場が少しなごんだ。

夜遅く午後8時になり、この前のように持ち直すかも
しれないので一度帰ってはと看護師に言われ、
全員、一旦は帰って少し眠ることにした。

つづく
母が危篤…奇跡の回復
2012-07-18-Wed  CATEGORY: 病院
翌日、私が病院を訪れると、母が集中治療室に入っていて、
あれから尿が全然出ていないのでと言われた。

明日までに違う利尿剤を投与して、様子を見ますと言われた。

すぐに三男夫婦に連絡を入れ、私はずっと母のそばに居た。
夜には三男夫婦やケアマネージャーの見舞いもあった。
その日は小康状態だったのでとりあえず利尿剤が効いてくれることを
願って私も帰宅することにした。
看護師も何かあったらすぐに連絡してくれると言ってくれた。
どこかで覚悟はしているが、でもなかなか母から離れられないでいた。

翌日、看護師から連絡もなかったのでいてもたってもいられず、
午後に病院へ行くと、尿が出たらしく、母は回復していて、
集中治療室から一般病棟に移動していた。

私は全身の力が抜けて、ほっとして座り込んでいた。

主治医も薬が効いてくれてよかったと喜んでくれた。
母もにっこりと私の顔をみて笑い、「あんた、死にかけてたでぇ~!」と
私が話すと声を上げて笑っていた。
この母の生命力にはいつも感心する。

その後1週間ほど調子のよい状態が続き、3月に入りペグからの
注入食も再開した。
いつ退院するかを主治医と相談しようと言われ、また自宅介護の
準備をするので後日連絡すると伝えた。

つづく
定期検診の入院と緊急入院
2012-07-15-Sun  CATEGORY: 病院
母の体調も大きくくずれることもなく、介護生活もみんなが慣れてスムーズに
日々が流れ、再退院から3ヶ月が過ぎた。

しかしまた半年ごとのペグ交換手術をする時期になっていたので、
主治医と面談して、7月中旬に入院した。
今回、検査入院で心配がないことが、私にはとっては
少しゆっくり眠れる休暇のようにも思えた。

もちろん入院中はほぼ毎日通って介助している。
検査の結果、さして悪化しているところもなく、
7月末に無事退院した。

半月ではあったが、私も少し体力気力共に回復していた。

しかし、喜んでいるのもつかの間…、忙しい自宅介護を続けていたが、
2ヶ月後に吸引しても呼吸が荒く、苦しそうにして、
訪問診療の医師に診察してもらい、たぶんまた肺炎になっているのだろうと言われ、
9月中旬、再入院した。

この日は母の87歳の誕生日だった。

いったい今までに何回、入退院を繰り返しているだろう。
もう入院荷物のパッキングのプロになってしまった。

嚥下能力の低下にともない、痰を吸引していても少しずつ誤嚥しているから、
肺炎になってしまうらしい。

今回は母がとても呼吸が苦しそうだったので救急車を呼んで
病院まで搬送してもらった。

救急車を呼んだのは私が倒れて入院したとき以来である。

つづく
微熱と退院延期の繰り返し
2012-07-02-Mon  CATEGORY: 病院
入院して1ヶ月ほどが経ち、ようやく退院許可が出て、
また施設に戻る手配をしていた。

注入食の仕入れなどを施設もしなければならないので、
前もって連絡しなければならないし、母の介護、介助の
道具一式(消耗品も含め、いろいろな道具が必要だった)を
移動させるだけでも重労働だった。

退院日を決め、それまでは皮膚科を受診して
ペグ周りの皮膚のただれや肉芽(肉が盛り上がってしまうこと)を
薬品処置してもらったりしていた。

しかし退院前日に、再び高熱が出て、やむなく退院延期になった。

これを数回繰り返し、結局、微熱の原因はMRSA菌だと診断された。

ペグは半年に一度、管の交換手術をしなければならず、
年明けがその時期だったので、病院で安心して年を越して、
年を明けたらペグ交換をしてから、退院すればよいだろうと、
主治医が言ってくれ、そうすることにした。

施設ですでに仕入れてしまっている注入食は、私が買い取り
そのまま病院に持参して、それを看護師に注入してもらうことにした。
看護師長がとても理解のある人で助かった。

特別養護老人ホームは入院しても3ヶ月は待ってくれる。
それまでに退院して戻ればまた入居させてもらえることは知っていた。
母が入院したのは10月下旬だったので、年明けの1月下旬までに戻れば
大丈夫だろうと思っていた。

しっかり微熱やMRSA菌をなくして万全で退院させたかった。

このMRSA菌のことを施設にはこの時点では話していなかった。

つづく


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