バツイチ子持ちの私、母の介護、父との確執、不義理な兄たちとの遺産相続争い、成人する娘へのけじめ、唯一の癒しとなる愛猫のお話です。創作ではありません。
そこに愛はありますか?…突然の介護から…
スポンサーサイト
-----------  CATEGORY: スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
やっと終わるこのお話…。
2012-07-30-Mon  CATEGORY: 介護と兄弟関係
日本の裁判では、「相続争い」はあくまで相続のことで、
その家族がどれだけその亡くなった親に孝行したかは
争点として扱ってくれないことを知り、ましてや
私が「身上後見人」としてすでに少ないが報酬を取ったことを
充分とするとのことだった。

前例で介護をしたものが少し遺留分として多く受け取るものも
その家族がそれを認めた上での話で、
こうやって兄たちが「介護」に関して何の感謝もしていなければ
それは争点としては認められないとのことだった。

調停員も裁判官も所詮、自分が「介護」をしたり、
家族の中で誰かが何度も何度も入退院を繰り返す度に
しなければならない事などは知るよしもない。
こんな人たちにいくら訴えてもどうにもならないのが
途中からよく見えてきた。

もうどうでもよくなった私は、一刻も早く片付けたくて
決着した。

もう二度とこの兄たちの顔を見たくない。
今後、この人たちがどうなろうと私にはまったく関係ないと
言い切れることだけが、私の利点となった。

やっと、終わりを迎えたのだと思った。

受け取った土地を売却したら、その翌年に
信じられないほどの金額の税金やら、
健康保険や住民税などの追徴がやってきて、
現金を取らなかった優しい私に
日本の厳しい現実が追い打ちをしてきた。

それから、もう2年半が過ぎて今を迎えている。

「ゆき」は5歳、「さき」は3歳になった。

私は、相変わらず、持病の「もやもや病」「動脈瘤」、
脳梗塞の後遺症の「軽い痺れ」などとボチボチ付き合いながら
細々と暮らしている。

すっかり人間嫌いになった、頑固な「おばはん」である。

こうやって綴ることにしたのは、自分の兄たちのひどさや
日本の弁護士、裁判、介護システムなどのいい加減さを
少しでも、これからそんなことになってしまう人たちの参考になればと
思ってのことだったが、考えてみればこんな酷い兄たちを持った
家族はそうそう、居ないだろうと思っている。

しばらく続けてきたこのブログに、おつきあい下さったかたが
居たのなら、心よりお礼を言いたい。

「貴重な時間を割いて読んで下さってありがとうございました!」

これ、本になって、まさかの印税暮らしでちょっとは楽できないかな~?(爆)

猫たちのブログは続けているのでよろしければそちらを
おつきあい下さい♪

終わり
スポンサーサイト
本当に死を悼む気持ち
2012-07-23-Mon  CATEGORY: 介護と兄弟関係
あいかわらず、次男夫婦からは何も連絡がないまま、
通夜・告別式の準備を進めていた。

母が倒れてからこの6年間、結局最後に母のことを
よく理解している人たちを限定して通夜や告別式のことを知らせるなら
結局のところは、母を介護した人たちと言うことになる。

仕事の都合もあるだろうから、何時でもこの葬儀会場に
来てくれたら、別室で布団に寝ているかのように安置されている母を
見ていただけると連絡をいれた。

すると、通夜の前に、親身になって母を介護してくれた人たち
(ケアマネージャーや訪問介護、看護の人たち、
お向かいのMさんご夫婦などなど…)が、みんなが
仕事の合間に時間を見て母の顔を見に来てくれた。

来て下さった方達は、型破りだが、決まった通夜の時間や
告別式にきても母の顔が見られるわけではないので、
このほうがお別れが言えてよかったと言ってくれた。

長男嫁もヘルパーの仕事をしているので、
通夜の前や後、葬儀の前や後も仕事に行っている様子であった。

家族だけで執り行う旨を仕事先や知人には知らせていたが、
財産後見人の弁護士、次男の親友で次男との連絡を取ってくれたAさんは
参列してくれた。
あとは長男、三男、私と私の娘だけで進めたが、
三男の仕事がらみの国税局の人は密葬と連絡いれているにもかかわらず
何人かはやってきて、三男に挨拶をしていた。

父のときのようにたくさん国税局と名前の入った弔電も届いていたようだが、
絶対に式の最中に読み上げないように進行役の人にお願いした。

お棺を最後に閉じるときには、なぜか私は涙も出なかった。
達成感と喪失感が同時にやってきて、複雑な心境だった。

つづく
次男夫婦は奇行炸裂
2012-07-22-Sun  CATEGORY: 介護と兄弟関係
私は一度家に帰って、あれやこれや準備をし、
そんな中、この日程を、死に目にも立ち会わなかったが、
一応息子である次男にはファックスしようとした。
だが、電話はつながるがそのまま切れてしまい、
何度電話をいれてもが応答なしだった。

困って、次男の親友(私も学生のときにお世話になった人)に
電話をいれて、母が亡くなったこと、次男が死に目に会わずに
帰ってしまったこと、通夜、葬式の日程を連絡できずにいることを話し、
その親友から伝えてもらうようにお願いした。

しばらくしてその親友から、私に電話があり、
次男が「俺は行かない」と返事されたとのことだった。
長男も次男にその後で電話で話したらしいが、結局、
次男はまったく通夜も告別式も出るつもりはないようだった。
もちろん、生きている母にもまったく興味がなく、
その施設に嫌がらせをして恐喝してるが、死んだ母などは
まったく興味があるわけがないという感じだった。

その連絡を取ってくれた親友は、自分はどちらも行くと言ってくれたが
家族葬にしたいので気持ちだけで…とお断りをした。

つづく
母が逝った…
2012-07-21-Sat  CATEGORY: 介護と兄弟関係
日付が変わって翌日の午前1時36分、急に呼吸がみだれて
一度大きく反り返った後に、最後は眠るように息を引き取った。

私は、ぼーっとしていたが、つい一言出た言葉が
「終わったな…」だった。
6年間、母のこと、自分の病気、父の死、父の遺産相続争い、
不義理な兄やサイコな兄嫁…、すべてが終わったように思えた。
ずっと背負っていたものがとれたような気がした。
母は、最後に長男夫婦、三男夫婦、そして私に看取られて
逝ってしまった。

主治医も夜中だったが、すぐに病院に駆けつけてくれて、
身体にはいっているチューブ類をすべて取り除き、
死亡診断書を書いてくれていた。

待っている間に、私は一人暮らしをしている自分の娘に
「おばぁちゃんが亡くなったよ」とメールを入れた。

午前3時、やっと葬儀屋に連絡して、亡き母を引き取りにきてもらう。
葬儀は父の時と同じ葬儀会場でするのがいいだろうと思っていた。

三男が長男に、母の葬儀は家族だけの密葬にしたいので、世間体もある
兄たちが喪主をするよりもずっと寄り添っていた私が喪主をするのが
一番いいだろうと話してくれた。そのまま各人が自分の車で会場へ。
途中、長男は道に迷ったと言い、結局会場には来なかった。

自分が喪主でないので、責任はないと思ったのか、
それっきり葬儀に関する打ち合わせには現れなかった。

次男もひどいが、長男も似たり寄ったりだと思った。

私が入っている冠婚葬祭の会員権(すでに会員費用43万円は支払い済み)を
使って母の葬儀をすることにした。
その他諸々の追加費用を合わせるとそれでも100万弱になる計算だった。
家族だけで密葬といいながらも、こんなに費用がかかるのかと思った。

すべての香典、花、弔電なども辞退することにした。
父の葬儀のときのようなややこしいことにはしたくなかった。
間違っても、延々つづく「国税局からの弔電」読みはゴメンだと思っていた。

通夜は翌日、告別式は翌々日と決めた。

つづく
自分の40代の終わり
2012-07-17-Tue  CATEGORY: 介護と兄弟関係
自宅介護の生活をはじめて、もうすぐ1年になろうとしていた。

酸素マスク、痰の吸引など、医療器具を使用しての介護も
すっかり板に付いてきた私は、変にブランクがあって訪問看護になった人や
ベテランのヘルパーさんよりも、はるかに上手くこなせていた。

猫の「ゆき」もすっかり母のお気に入りとなり、母のベッドのまわりを
うろうろする姿や、テレビの前で母を見守る姿に、母はいつも笑っていて、
アニマルセラピーの効果絶大だった。

向かいのMさんが、夜11時の1日の最後の介護時間に
よく付き添ってくれていた。
翌朝、私はまた5時に母のところへ行くが、私の玄関ドアの音や
鍵につけている鈴の音がしないと、Mさんの旦那さんも
出勤前で起きていて、Mさんに「お向かいは寝坊してないか?!」と
いつも気にかけてくれていたらしい。

皮肉なもので、「遠い親戚より近くの他人」とは良く言ったものだと
思った。お向かいの夫婦の親切がとても身にしみた。

そんなことをしながら、またペグ交換の時期となり、母は検査も兼ねて
再入院した。
この入院中は、すべてうまく運び、2週間で問題なく退院したので、
その間は、私には半年ぶりの休暇となった。

2月に入り、私は50歳の誕生日を迎えた。
40代半ばから母の介護と自分の病気との共存生活になり、
なんの良い思い出もなく40代を終え、
とうとう50代になってしまった、ため息が出た。
介護生活をはじめて6年になろうとしていた。

身内の愛情をこれっぽっちも感じないままに
ずっとやってきて、これがいつまで続くのだろうと
不安な日々だった。

それから半月後、ある日曜日、いつもと同じように母の部屋で
朝の介護を済ませたが、痰の吸引をしてもまだ呼吸がゼイゼイ言うのが
気になっていた。下痢もしていた。
少し気になりながらも一度自分の部屋に戻って他の用事をしていたら
まもなく三男夫婦が母を見舞いにきていて、母が吐いたと電話があり、
私もあわてて降りて、入院するかどうかを相談していた。

日曜日なので午後2時に長男嫁も来て、みんなで相談し、
休みの日のうちに搬送するほうが安心だと言うことで、荷物をまとめ、
救急車を呼んでいつもの病院に搬送してもらい即入院した。

具合は悪いはずなのだが、久しぶりに私以外にも兄夫婦たちと合わせて
みんなに囲まれて母はうれしそうにしていた。

つづく
<< 2017/06 >>
S M T W T F S
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -


Copyright © 2017 そこに愛はありますか?…突然の介護から…. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。