バツイチ子持ちの私、母の介護、父との確執、不義理な兄たちとの遺産相続争い、成人する娘へのけじめ、唯一の癒しとなる愛猫のお話です。創作ではありません。
そこに愛はありますか?…突然の介護から…
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見よう見まねで習得
2012-03-31-Sat  CATEGORY: 病院
入院生活が続き、少しずつではあるが、母の改善を目の当たりにして、
何気ない声掛けや態度が母を回復させることを痛感する。

母はこの時81歳、高齢ではあるが、私はリハビリでまた
歩けるようになる、復活するとを信じていた。

そんな中、ただぼーっと病室で過ごす自分も嫌だったので
病院での1日の看護や介護の流れ、シーツ交換、着替え、清拭、
部長回診などの1週間のスケジュールを把握し、
なるべく自分でできること(オムツ交換など)は
看護師がやっているのを見て習い、
そのうち、いちいちナースコールをせずとも、自分でできるようになる。

ただ、摘便(手袋をはめて肛門に指をいれ便を掻き出してだすこと)は
躊躇してできない…。

本人の腹圧がなく肛門のところでつまってしまっている便は、
こうやって人が出してやることがが一番いいとのこと…。
解っていても、この時点ではまだ私には無理だった。
ナースコールをして、サクサク摘便する看護師には
頭が下がる思いだった。

看護師に「毎日、こんなことばっかり大変ですよね?」と聞くと
「いや、こんなものは『慣れ』ですからぁ~!ハハ!」と
明るく答えてくれた。

この入院生活の中で、唯一救われたことは、先生も看護師も若い人が多く
みんな明るくて前向きな人が多いことだった。

つづく
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最低な家族の男ども
2012-03-30-Fri  CATEGORY: 母子生活
毎日の母の病室通いがずっと続いている。

父から預かっている母の貯金のお陰で、自分が
働けない不安はあるものの生活費に対しての心配はないので
父に雇われているかのように母の面倒を見ている。

この時は娘は高校3年になったばかりで、最後の高校生活を
楽しみながらも、受験に向けてどうするかを悩んでいた。
母のことがあって以来、仕事をしていない私にとっては
高い私立大学は金銭的に厳しいので娘には
頑張って公立大学に入ってくれるように願っていた。

そんな私の生活などまったく気にもかけないのが
家族の中の男ども…、父と兄たちである。

このとき、兄たちは自分の仕事を休むわけでもなく、
ちょっとした見舞いはすべて嫁たちに任せっきりで、
男と女の違いを痛感する。
…というよりかは、父も同様だったが、私一人が女(娘)で
「当然、娘がやればよい」と言う男尊女卑な考えが
うちの家族全員にあることが、ちょっと腹立たしかったが
入院している母のことが気の毒で、結局私一人が看病し続けている。

つづく
失語症との闘い
2012-03-29-Thu  CATEGORY: 病院

入院生活に母も、私もやや慣れてきたころから、
母が私に「あも、あも」と語り出す。

初めは「あも」で始まる言葉を必死で連想して会話しようとしたが、
これはどうやら失語症になった母の唯一の言葉で、
脳ではちゃんと言葉を話しているが口からは「あも」の言葉しか
出ていないことに気づいた。

しかし、それを母に話しても母は理解できないようで、
母は「なぜ私の言うことを解らないのか?!」という表情で
イライラして怒って「あーっ!!」と大声を出している。

このころから、わめくように泣くことが多くなる。

私はなるべく気持ちを理解しようと努力して、
状況やら母の表情でなんとか母とコミュニケーションを取る毎日が続く。

ペンを持たせても字が書けず泣き、絵のカードを作って選ばせようとするが
これも眺めて頷くだけで、脳梗塞で死んでしまった細胞のうち、
ほとんどが「表現する能力」のようだ。

「理解する能力」は残っているようで、新聞や手紙を老眼鏡を掛けさせてやると
めくって読んでいる。どこまで読めているかは判断できないが…。

テレビやラジオも好きで、歌が流れるとうれしそうだった。

つづく

長い入院生活のはじまり
2012-03-28-Wed  CATEGORY: 病院
入院が1週間を過ぎたあたりから、私も毎日通っていて覚悟ができる。
失語症になった母の代わりには必ず家族が付き添っていたほうが
いいだろうし、今後のメドがたつまでは見極める必要もあると思っていた。
なので通勤するかのごとく、毎日朝7時半ごろから夜8時ごろまで、
ずっと病室に通いつづけることとなる。

そうすると、今まで医療や看護、介護などにまったく興味もなかった私だが
看護師の人たちとも仲良くなり、先生とも打ち解けて話せるようになる。

毎日観察していると、病院の事情などもよく見えてくるし、
同室の入院患者やその家族とも話すことも増えた。

寝たきりだった母がリハビリしていくうちに身体を起こしてやると
ベッド淵に足を垂らして座れるようになり、赤ちゃんが成長するように
首も据わって座る姿勢も安定してきた。
毎日のリハビリの大切さを痛感する。

つづく
母の親切心が…
2012-03-27-Tue  CATEGORY: 病院
入院3日目の昼過ぎ、実家の近所の母の友人がお見舞いにきてくれた。

どうやら母は倒れる前日にこの人の引越しの手伝いに行っていたようで、
掃除や片付けまでして帰った母がこんなになったと、とても責任を感じていた。
この友人が涙ながらに母に話しかけると、母は反応した。
母は謝る友人に何か言いたそうだった。
きっと母のことだから「違うよ、あなたが原因ではないので気にしないで」と
伝えたかったのだろう。

夕方、血圧が185まで上がっている。友人が来たことで興奮したのか?
尿漏れもしていて、オムツ全部を交換。
看護師が「明日はシーツ交換の日で、その時に床ずれ防止マットに取り替えます。
尿の量も計りたいので尿管に管を通して尿を袋にとります。」と教えてくれた。
オムツもそのままで、大便を処理したり洗浄の度に取り替えるとのこと…。

私は「寝たきりになったらこう言うことか…」と現実の厳しい姿に絶句する…。

その後、目薬点眼、検温(やはり微熱)、点滴2回目の3本セットのうちの1本を注入。
残りは夜に入れるらしい。

夕食時に長男と長男嫁がきた。
午後7時に、看護師がきて検温、顔と熱いタオルで拭いて、
その後に口腔内の清拭(濡らしたガーゼを指に巻いて口内を拭く)もしてくれた。

私は後を長男夫婦にまかせて帰宅した。

つづく…
病室内でリハビリ
2012-03-26-Mon  CATEGORY: 病院
午後2時、リハビリ室から理学療法士の先生が病室にきた。
まだ若い男性の先生だ。
これから毎日来て少しずつ身体を動かしてくれるとのこと。

ベッドに寝ている母の手や指、足を動かして
マッサージもしている。
固まりつつある、右手を動かされた母は、
顔をゆがめて痛そうにして反応あり。

今、こうやって動かさないとますます動かなくなるから、
家族も気づいたら触って動かして欲しいと言われた。

その後、看護師が心電図モニターのコードを持ってきて
胸に貼り、酸素チェックを指に装着。
これからずっと装着したままにし、
何か異常があれば詰所で確認できるとのこと。

つづく
自分の時間、吸引…。
2012-03-25-Sun  CATEGORY: 病院
昼になり、三男嫁がやってきた。なので、ようやく私は病室を出て
上階の売店でパンとコーヒーを買い、病院屋上に上がって喫煙をした。
かなりのヘビースモーカーの私もさすがに、
この付き添いが始まってからは吸える機会が少ない。
2本立て続けに吸って空をながめてしばらくぼーっとした。

病室に戻り、病室で買ったパンを食べた。

三男嫁はその後すぐに帰ってしまう。

午後の目薬をさす。呼吸がゼイゼイするので、
痰を吸引器で吸引してもらう。
チューブを喉の奥につっこみ一気に吸引器で吸い上げるが、
母は顔をゆがめてとても苦しそうで見ていられない。

看護師は押さえつけて、つっこんだチューブを回している。
やや虐待のように見えるが、こうしないと奥にたまった痰が
すっきり採れないらしく、痰が貯まると呼吸ができなくなると
大変だからと、看護師は何度も繰り返した。

つづく
点滴も着替えも大変…
2012-03-24-Sat  CATEGORY: 病院
母の病状は以前ベッドに寝たきりで、
脳梗塞の血栓をなくして、栄養もとるために
24時間点滴が行われている。

なので点滴の注入針が腕に装着されたままだが、
装着するのも母の血管は細くて入りにくく、
またすぐに漏れて腫れ上がってしまうので大変だと
看護師から聞かされた。

点滴がポタポタ落ちる様子をながめて、少しでも
落ちなくなったらすぐに看護師に連絡をして
注入針を別の場所に差し替えなければならず、
付き添っている私も緊張感がある。

午前10時半、看護師が全身を熱いタオルで清拭してくれて
パジャマも着替えさせてくれた。
右マヒなので、体位を左右に転がしながら
ベッド上で着替えさせている。
点滴があるとなおさら着替えも大変だ。
その時に点滴が漏れていることに気づき、一度抜く。

着替えた後で何度か試したが、結局、腕の血管に
針が入りにくいので足首の血管に装着した。

汚れたパジャマは病棟内のコインランドリーで洗濯、乾燥した。

つづく
問いかけに反応した!
2012-03-23-Fri  CATEGORY: 病院
小康状態が続いた入院3日目、私はいつものように午前7時半に病室に入る。

母は寝たきりだが目のまわりが目ヤニでバリバリになっている。
白内障もわずらっているので目薬をさし、ガーゼで目を拭いた。
その後、朝の検温をした。あいかわらず微熱が続いている。

唇も乾燥しているのでリップクリームをつけた。
右側がまったく動かないので、右手、右足を少し動かしてみた。
硬くて動かしにくい。

10分ほど経って母の耳元で「お父ちゃんのこと気になるか?」と
話しかけてみたら、なんと泣き出した!
やっぱり意識はあり、こちらの言うことは解っていて話は聞こえている。

ただ身体はまったく動かないようだ…。すぐに看護師にそのことを伝えた。

つづく
大人用のオムツ
2012-03-22-Thu  CATEGORY: 病院
病室に母の身体を清拭にきた看護師から大人用のオムツを
買ってくるように言われる。
でも母のそばから離れたくなかった私は、どこへいつ買いに行くかを
悩んでいた。
そのとき長男が見舞いにやってきた。長男も母の容体をみて驚き、
私がどこかでオムツを買ってきてくれるように頼むと、
すぐに出てどこかで買ってきてくれた。

後で気づいたのは病院の最上階に売店があり、
そこでオムツや尿とりパッド、その他消耗品も売っていることだった。

この後の入院中はすべて私がその売店でオムツほかを購入している。
そう言えば母が元気なときに「私はオムツなんて絶対イヤや。」と言っていた。
でももうそんなことは言っていられない状況が悲しかった。

休日のこの日、午後三男もやってきたが、動けない母を見て驚いている。
点滴をするだけの母をみんなで見つめる。

看護師がオムツの取替え、点滴の補充、体位の変換など定期的にくるのを
ただ呆然と眺めて、意識のない母を見つめているだけで、夜になってしまった。

面会時間が終了したので、しょうがなく全員で帰宅する。

ちなみにこの日も次男は来ていない。

つづく
突然の失語症、右半身麻痺
2012-03-21-Wed  CATEGORY: 病院
翌日、私は、朝食介助のために朝一番に病室を訪ねる。
寝ている母に話しかけるが母は薄めを開けて唸るばかり。

いったい何があったのか私は理解できずにあたふたしていたら、
当直の先生がやってきて、ちょっと気の毒そうに
「お母さん、夜中に「お茶」と言われて看護師が飲ませたら、
その後にトイレに行こうとし、身体が動かないのでパニックになられ、
それで一気に血圧が上がってしまい、今の状態になってしまいました。」
と説明を受けた。

でもこのときはまだ意識が薄れているだけなんだろうと、
私も安易に考えていた。まさか失語症になっているとは、
このときは知るよしもない。

診療時間が開始されたら再度CT検査を受ける。
脳の左前頭葉の半分以上にくもりが見られるので、
かなり重度の脳梗塞であると断定された。

病室のベッドにもどり、ずっとそばに付き添い、
時々母に話しかけてみるが、返事はなく、
私がただぼーっと眺めているところに
父も知らずに見舞いにやってきて
この母の急変に驚きながらも見守っていた。

つづく

母は脳梗塞…。
2012-03-20-Tue  CATEGORY: 病院
私はパジャマなどを買ってから病院へ戻り、
残っていた入院手続きを済ませて病棟へ行ったのは夕方だった。

そこで兄たちにも母の入院のことを電話連絡した。

主治医が病室にやってきたが、若い女性の先生だったので少し驚いた。
どうやらインターンらしい。

その主治医の話だと、母は脳梗塞らしい。
今は点滴で様子を見るとのこと。

その後、夕食が運ばれてきたが、母は右手がうまく動かせず、
私がスプーンで食べさせてあげていたら、
そこへ、父、長男とその妻、三男とその妻が様子を見に来た。

ご飯を食べさせてもらっている母を見て各々声をかけたが、
しっかり返事をするのでみんなホッとしたような表情で、
「早めに入院できてよかった」と安堵していた。

次男とその妻は結局、何の連絡もないまま、見舞いにも来なかった。

夜、面会時間も終わりなので、みんなで引き上げることにした。
私は「明日の朝食も食べさせてあげるから早く来るね」と
母と約束をして、母も「ありがとう」と言った。
まさかこれが母の口から出る言葉を聞くのが最後になるとは思いもしなかった。

つづく


生活基盤…
2012-03-19-Mon  CATEGORY: 母子生活
私は離婚以来ずっと子育てに融通の利くように時間に余裕のある
契約社員やパートなどの仕事をいくつか転職しながら生計を立て
娘と2人暮らしをしていた。

正社員時代に購入した中古マンションの銀行ローンを払っていたが
一年前に父が「母から生前贈与をしてローンを精算したらいい」と
言ってくれた。
でも、兄たちのことも考えて自分だけもらうわけには
いかないと思い、母から借金し、銀行ローンは精算して、
作成した借用書をもとに、毎月母にわずかの利子をつけて
返済することにした。
このときの銀行ローンの利子はかなり高かったので
利子が大きく減るだけでも、とても助かった。

母が入院となったこの時はちょうど仕事の契約更新の時で
更新をせずに看病に専念することにした。
40代半ばで、無職になることにやや不安はあったが
母の面倒を父だけに任せられないのでしかたないと思った。

そんな状態の私を心配して、母にかかる費用を考えた父が
病院に戻る私を呼び止めて、母名義の通帳と印鑑を私に預けた。

躊躇する私に父は「母は以前から老後は娘に看てもらいたいと言って
貯めたお金だから、これで生活費を払えばいい」と言った。
自分の返済している明細と一緒にしたくなかった私は
その時からこの預かった貯金、ここから支出した費用など、
すべて明細をエクセルの表にして記帳し始めた。

ローンとして借り入れた返済ももちろん返済し続けている。

兄たちが自分たちの道楽や不祥事の度に両親に金を支払わせていて、
いつも嘆く両親をみていたので、自分は両親にそんなことはしたくないと思い、
こんな律儀な性格となっていた。
だが、この時に作成しているすべての明細が、いずれ起こる相続争いのときに
思わぬ展開となるなど知るよしもない。

つづく



緊急入院
2012-03-18-Sun  CATEGORY: 病院
やっと内科の診察室へ入り、先生や看護師の質問に答え始めたら、
母の返答する様子に異変が起き始めた。
答える内容があやふやになってきたので、とにかく
検査入院するようにすすめられ、それに従うことにした。

そのまま母を車いすに座らせてCT・心電図検査を済ませて、
点滴を開始。
昼一番に仮入院手続きを済ませ、病棟へ移動、入院する。

そのとき病棟の看護師が母に「娘さんのお名前はなんですか?」と
私の名前をたずねたら、私の名前ではなく孫(私の娘)の名前を
答えるのでびっくりして、不安が一気に倍増した。

母をベッドに寝かせて、私は一旦、入院中の着替えなどをとりに実家へ。
実家で父に入院のことを伝える。
母のタンスを見たが診察に便利な前開きのパジャマはあまりなく、
バスタオルやタオルだけ袋につめて、
父に「着替えがたくさんいるので、パジャマを買いに行ってから
そのまま、また病院に戻るからね…。」と伝えた。

父は、やや不安そうにしながらも、出かけようとする私を
「ちょっと待って…」と引き留めた。

つづく
朝の電話1本から…
2012-03-17-Sat  CATEGORY: 病院
2003年の3月、ようやく春らしくなってきたある朝、
母のいる実家とは別に近くでマンションに別居している私のもとに
母から電話があり、「右腕が重く挙がりにくい」と不安そうに話す。
よく聞くと、足はなんともないので、また以前に痛めた肩が悪化したのかも…と。

私はとにかく診察を受けたほうがいいと思い、付き添うからと説得して
とりあえず近くの総合病院に診てもらうことにした。
母を車で迎えに行こうかと思ったが、そのままお互いが歩くほうが早いので
病院の受付で30分後に待ち合わせをした。
高校に登校する直前の娘に事情を説明して、追うように私も出かけた。

診察手続きを済ませ診察開始時間に間に合うように急ぎ、
ようやく整形外科の待合室へ。それでもその時点でかなり混んでいる。

2時間後やっと診察室へ呼ばれ、先生に右手の様子を伝えた。
先生の言うままに母は両手を挙げるが右だけが下がってしまうのを見て、
念のために内科も受診するようにと、30分後に内科の待合室へ移動する。

内科もかなり混んでいた。さらにここで待たされることになる。
昼にやっと診察を受けたが、その長い待ち時間が大きくその後の母の運命に
影響することになるとは、私も母も思ってもいなかった。

つづく
主な登場人物
2012-03-16-Fri  CATEGORY: 登場人物
まずは、物語がスタートするころの主な登場人物は…

「私」26歳で結婚して娘一人を出産、仕事と育児を両立するも
   29歳(娘3歳)の時に離婚。その後も仕事をしながら
   母子の2人暮らしを続けていて中古マンションを購入して
   40代半ば、娘も高校生…。

「母」私の母、父との結婚生活60年以上の間に
   3人の息子と1人の娘(私)を育て、
   4人とも結婚してそれぞれの家庭を持ち
   両親の家の近くで暮らしている。
   よって両親は2人暮らし…。

「父」瀬戸内海の島で貧困の中、海運業を経て大阪に定住、
   よって、頑固でケチ、気性も荒く母や子供に優しく
   接したことはほとんどない。バブル前に購入していた
   土地のお陰で不動産業で儲け、ある程度の土地と貯蓄がある。

「長男」私の一番上の兄。親と言ってもいいくらい歳上である。
   まったく勉強せず、高校中退。
   頑固な父に連れられてあれこれ仕事を手伝うも、
   とにかくどれもうまくいかず、酒癖も悪く、かろうじて
   晩婚を機に父の援助の元、新居にて下請け建設業を営むが、
   あまり仕事もなくほとんど開店休業状態。同居の息子3人と
   その家族を養うために嫁も常にパートに出て働いている。

「次男」私の2番目の兄。小学生で交通事故にあい、それを機に
   甘やかされてそだったので、気分屋であつかいにくい。
   高校卒業と同時に父の不動産業を手伝うことになるが、
   いつも昼まで寝ているようなぐうたらな生活を続け
   見かねた父にある程度の現金を分けてもらうも、父に似て
   相当のドケチのため、結婚後も父の持分の土地で住居を兼ねて
   不動産業を続け、その土地の家賃もいつも父に滞納している。
   嫁は不動産業を手伝っているが、これまた、ちょっと奇人で
   不可解な行動ばかりを取っている。

「三男」私の3番目の兄。高校卒業後、税務署に勤務。
   とにかく酒好き、見栄張りのため、派手好きである。
   酒代で給料が残らないといつも嫁が父に嘆き、長年父の持分の家に
   駐車場付きで25000円という破格値で住み着き、その土地を
   父にタダで譲り受けようとして父の怒りを買い、怒って飛び出した
   先は身分不相応な新築マンションに多額の住宅ローンで入居。
   そのため、この嫁もパートにいつも出ている。

以上、私の血縁関係のある登場人物です。

これだけで、十分、これからドロドロしそうな関係だと理解できる…。

つづく


うそのような本当の話
2012-03-15-Thu  CATEGORY: はじめに
この日記は今現在の事柄からスタートではありません。

2003年にさかのぼって、そのときに
突然始まった介護のこと、それにまつわる
数々の信じられないエピソードを順番に
少しずつ綴っていこうと思っています。

今現在、すべてが片付きおちついたので
ようやくここに綴る気持ちになりましたが
それまでをずっと綴っていくのにどれくらいかかるか
ちょっとわかりませんが、ボチボチ書きます。

その当時の写真は残っていないので、
文章ばかりになると思います。

つづく


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