バツイチ子持ちの私、母の介護、父との確執、不義理な兄たちとの遺産相続争い、成人する娘へのけじめ、唯一の癒しとなる愛猫のお話です。創作ではありません。
そこに愛はありますか?…突然の介護から…
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突然のケイレン
2012-04-30-Mon  CATEGORY: 介護と兄弟関係
介護でクタクタになっている私はスケジュール通りの時間に
起きられない日もあり、30分ほど寝坊することもあった。
母が目覚めて、横のソファベッドで私がまだ寝ていたら、
自分のベッドの柵をカンカンたたいて音を出し私を起こす。

ある日曜日、朝からカンカン音がなっているので、
「わかった~、起きるから~」と目をこすりながら
ぼーっとして母のそばへ寄ると、何かおかしい…。

母を見ると顔を引きつって、意識なく、けいれんを起こした手が
ベッドの柵にあたってカンカンと音を立てていた。

一瞬、何のことかわからず戸惑い、少し間をおいて、やっと
私はハッとしてあわてた。
思わず「待って!何これ?待って!」とひとりで叫びながら、
母の周りをウロウロするばかり…。

どうしてよいかまったく解らず、あわてて電話をとり119番した。
名前や住所、症状などを話しながらも、母が死ぬのでは?!と
気が気でなかった。

救急車を待っている間、少しけいれんは治まったが、母の意識はない。
すぐに急にいびきをかきだした。怖くなり、何十分も待ったような気がした。

ようやく到着した救急隊員のひとに「入院していた病院でお願いします」と伝えて、
言われるがままに病院の診察券を渡した。救急隊員はその病院に電話して
受け入れ可能を確認してから、走り出した。

やっと病院に到着。救急処置室に入って、オムツに便あり。
当直医に状況を説明して、点滴をはじめた。

しばらくして、母の意識が戻り、母もなぜそこにいるのか不思議そうだった。
とりあえず、入院していた病棟に再入院させてもらうことになり、
私は荷物、薬など入院に必要なものを取りに自宅ににもどった。

私も起きてパジャマのままだったので、その姿で歩いて自宅まで
帰るのが恥ずかしかった。

これからは、もっと緊急時に備えられる準備が必要だと実感した。

つづく
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愚痴りまるく父
2012-04-29-Sun  CATEGORY: 介護と兄弟関係
父の話が昔の自慢話だけなら、私もBGMのように聞き流せたかもしれない。

だが、私の介護の手伝いを誰もしないから、私に申し訳なく思っての事
だったかもしれないが、兄たちへの愚痴を延々する日々が続く。

私は介護も辛いのに、その上聞きたくもない兄たちの愚行話は、
なおさら私へのストレスとなり、耐え難いものになっていた。

特に母の見舞いにも来ない次男の話にはうんざりだった。
父の持分である土地、建物(70坪ほどある市内の一等地である)に
一家で不動産事務所兼住居として父から借りていて、しかも
その家賃を、「事業が儲かっていないから」とまったく未納のままだった。

「家賃の催促に次男の家に行っても、テレビはついているの
に誰もおらず、どこかに隠れていて居留守をされた」とか、
「家に来たかと思ったら勝手に金庫のところへ行って
実印を持ち出そうとした」とか、挙げ句の果ては、
次男の結婚前の女性問題で払った金のこと…などなど。

私はとうとうガマンできずに、父に「そんな話はよそでやってくれ!
私は今、お母ちゃんのオムツが汚れているかどうかだけで精一杯なんや!
見舞いにも来ないヤツのことに興味ない!」と怒鳴ったこともあった。

母も同じ気持ちだったらしく、フッと苦笑していた。

しかし、この話は現実のようで、父の次男に対しての不信感はつのり、
「重要書類をお前が預かってくれ」と、父名義の預金通帳類もこの自宅介護中に
私の金庫に預かるようになっていた。

私は母の預金を預かるだけでも大変なのに、さらに父のものまでは
気が重く、父の貯金がひとつでも紛失したとか言われないように、
明細を作って預かっておいた。

つづく
父の話し相手
2012-04-28-Sat  CATEGORY: 介護と兄弟関係
無神経な長男は、あのたばこの一件があってから来ないが
それが私には救いだった。
もし再々ここへ来ていつも配慮のない言葉や態度をとられると
私にとっては苦痛でしかないだろう。

そんな長男に育ててしまったのは、頑固でケチな父親である。
母が何度も父に殴られ罵倒されるのを見ながら私たちは育った。
父にとって女は家畜みたいな存在だったが、それを見て育った
兄たちもやはり、男尊女卑な人間だった。

母が自宅介護になって以来、父は毎日、午前、午後と1日2回通ってきている。
このマンションを買いたいと父に相談したときには「中古マンションを
買っても何の得にもならない!」と猛反対したが、私はこのマンションが
駐車場権利付きだったこともあり、その当時、ある会社の正社員だったので
ローンもできるし、離婚後、賃貸で家賃を払っていた私にとっては
チャンスだと思って、父の反対を押し切って購入したものである。
そのとき父は「お前のマンションなんぞ、絶対に行かないからな!」と
怒っていた。
皮肉なものでそんな父が、今は母に会いにこのマンションに通っている。

訪問してきた父が母に話しかけてくれるのなら、それはそれでよかったのだが、
暇つぶしも兼ねてやっていくるので、ずっと私に自分のまわりのことを
話しかけてきた。元々、自分の今までの苦労話などをするのが好きで、
話し出すとそれはそれは長い。何回も同じ話をよく聞かされる。

私には介護をしながらのこの話し相手は、だんだんキツくなっていく。

つづく
無能で無神経な長男
2012-04-27-Fri  CATEGORY: 介護と兄弟関係
自宅介護をスタートさせてから、何週間か経って長男が仕事の帰りに
汚れた作業服のままで見舞いにやってきた。

ベッドのすぐ前にイスを用意し、腰掛けた長男を見て母が気遣って
何か話すが「あも」しか言えてない。

そんな母をみて「字を書かせろ!」と私に言った。
私は唖然としてしまった。ずっと母の病状を理解していると思っていたのに…。
入院して4ヶ月以上経ち、その間長男は何度も見舞いに来ていて、
母が話せないことは知っていたにしても、まさか、字も書けないことも
わかっていなかったのか?!

私たち介護しているものがとても苦労して母とコミュニケーションを取っていることを、
まったく知らなかった長男が情けなかった。

私が怒って「字が書けたら苦労してないわ!」と言うと、
機嫌が悪くなりその場でたばこに火をつけようとした。
「たばこは母の前では吸わないで! 流しの前の換気扇のところで
吸って!」と言うと、長男は「関係ない!」と言ってその場で火をつけた。
私はくわえたたばこを取り上げて、流しのところへ持って行った。
「関係あるからお願いしてるんやろ!!」と口論になった。

長男は「もうええわ!!」と言って怒ってそのまま帰ってしまった。
長男はそれ以来一度もこの部屋に見舞いに来ていない。

そもそも長男は世間一般のマナーを知らず、携帯も病院でも平気で
音を鳴らし、たばこもなぜ世間が禁煙モードになっているかも
まったく気にならないようだった。

つづく
言語リハビリへの通院
2012-04-26-Thu  CATEGORY: 介護と兄弟関係
訪問のリハビリは、身体的なもので、母の場合は失語症もあるので、
言語のリハビリも必要だった。訓練すれば少しは言葉が戻るかもしれない。
淡い期待ではあるが、週に一度、唯一、市内では隣の区にある病院で
言語リハビリの先生が往診しているので、そこを入院中の主治医に
紹介してもらって通っていた。

金曜日、言語リハビリの日である。朝からいつものようにすべて済ませて、
母をパジャマから普通の服に着替えてさせて出かける支度をする。
出かける際は、いつも換えのオムツやお尻ふきなど、荷物も大変である。

30分後に手配している介護タクシーにてその病院へ。
介護タクシーの運転手も一応ヘルパーの資格はあるらしいが、
男性で力任せで母を車に乗せようとするので、いつも私が
乗車、下車の介助は私がやっていた。

病院到着、リハビリ受付後、地下売店で昼食を購入。
言語リハビリの待合室でエプロンをして昼食。
口からボロボロこぼすので、赤ちゃんのように
介護用のエプロンをつけて食事するのだが、他に
待合室にいる人たちにそれを見られるのがちょっと
恥ずかしい様子の母だった。

だが、この言語リハビリの先生は予約が多く、
昼過ぎまでかかってしまう時間の往診しか母の予約はとれず、
しかたなく、いつも待合室で軽く昼食をとらせていた。

12時過ぎ、呼ばれてリハビリ室へ。私はいつも言語リハビリに付き添っているが、
「あー、うー」と先生の言うとおりに発声して練習している。
模倣することから言葉へと練習を重ねるとのこと。
母は先生の言うとおりに発声でき褒められて、とてもうれしそうにしていた。

母の状態をみるために、絵の書いたカードを見せてその単語を言い、
母に指させようとしたが、母はうなずくばかりで指すことはできない。

失語症としては、かなり重症だったようだ。

その日の訓練が終わり、帰り際に先生に「来週は11時半から」と言われた。
来週は昼食は帰ってから食べたほうがよさそうだ。
病院の清算後、また介護タクシーを待って帰宅した。

つづく
訪問看護の日
2012-04-25-Wed  CATEGORY: 介護と兄弟関係
訪問リハビリのない日は、要介護5の母なので介護保険をフルに活用して
訪問看護を利用している。

訪問看護は、母がずっと入院していた病院の系列のところなので
カルテも共有できて、看護師も母の症状をよく理解してくれている。

看護師は訪問するとすぐにバイタルチェック後ベッドで身体清拭をしてくれる。
家にあるバケツにお湯を入れて、タオルで全身を拭くのだ。
パジャマを着替えさせたり、たまにはドライシャンプーで洗髪したり、
車いすに座ってバケツに足をいれ足湯をしてくれた。

この看護師は女性で近所に住んでいて、当時旦那さんと小学生の子供2人の
4人暮らしをしている人だった。とても優しくて母だけでなく、
来ている父や介護ばかりの私のこともとても気遣ってくれた。

毎日の介護の愚痴や兄たちの愚痴も少しずつ私が話すようになり、
この看護師とは、その後、ずっと友人としてつきあう仲になった。

介護は、やったことのある人でないとこの辛さは理解できない。
なので、まったく手伝わない兄たちよりも、こうやって訪問してくる
人たちのほうがずっと話しやすかった。

つづく
訪問リハビリの日
2012-04-24-Tue  CATEGORY: 介護と兄弟関係
今日は木曜日なので訪問リハビリ日だ。
朝、起きてオムツを見ると大量の尿と一緒に便があった。
ベッド上でお湯で洗浄、リハビリパンツに交換。
その後、目薬点眼、車いすに移動。

テレビをつけると、母は朝のニュースを見ている。
失語症だが、理解はできるので、テレビを見たり、新聞も
読んだりしている。

その間に私は朝食の準備。階下の賃貸の部屋から、
高校通学前の制服に着替えた娘が上がってくる。

母に飲み薬をスプーンで飲ませて、娘と一緒にテレビを見ながら
3人で朝食を食べる。
この頃の母は咀嚼のリハビリのお陰で、普通の食べ物を
口からこぼしながらではあるが、食べることが出来ている。
飲み物もストローを使うことで、咽せることなく飲めている。

母は孫と一緒に食事が出来るだけで幸せそうだった。
娘はすぐに学校へ行く。

食後の歯ブラシを済ませ、朝食の片づけをし、その後、床掃除。
検温など済ませ、母をトイレ誘導、また便あり。
その間に父がやってきた。

父と話していると、訪問リハビリの先生が来る。
まずは、ベッド上で手足のマッサージと柔軟の運動をしてくれる。
痛いようで、母は時々先生に怒ったように大声をあげている。

その後、右足に装具をつけて固定して、歩行訓練。
装具とは、動かない右足を膝上からがっちり義足のように固定して
立てるようにしているものである。
医療補助で入院中に作ってもらい、母のサイズにぴったりである。

このリハビリの先生は女性で、とても優秀で、はじめは平行棒を
つたってでしか歩けなかった母が、介助付きではあるが、
4点足のある杖をついて歩くことが出来ていた。

それを見て、このまま続ければ、いつか母も自分で杖で自由に歩けるように
なると私は信じていた。

リハビリが終わり、先生にお礼を言って終了する。

その後、車いすで饅頭とお茶を食べる。ベッドへ移動。
尿とりパッド取り替えて、母は少し眠る。
父もその様子を見届けて自分の家に帰宅していった。

つづく
驚異的なスケジュール
2012-04-23-Mon  CATEGORY: 介護と兄弟関係
今、考えてみてもぞっとする「介護生活」のスタートだった。
なんせ、一人ですべてをやっていたのだから…。

この自宅介護がスタートしてからずっと私はすべてを
パソコンのエクセルで記録を残している。
スケジュール、日記、経理処理、介護保険処理、病院の書類整理などなど。

事務の仕事をずっとしてきたのでエクセルの表作りは嫌いではないが
どこかに事務の働きに行っているぐらいの書類を作成していた。

そのときに作った、介護生活当初のスケジュール表がある。

介護スケジュール1
画面をクリックすると画像が大きくなります。

画像にしてちょっと見えにくいが、十分に忙しすぎるのがわかる。
もちろん、これは母だけのスケジュールで、これをこなしながら
自分の身の回りのこと、高校生の娘のこと、区役所通いや、
友達との連絡などもしていたのだから、「バカ」だったとしか
言いようがない…。

つづく
一人でかかえる辛さ
2012-04-22-Sun  CATEGORY: 介護と兄弟関係
退院以来、兄嫁たちは「手伝う」と言っていたのに、
何も言ってこない。 私はできたら、曜日を決めて
割り振りをして少しでも手伝ってもらえるものだと思っていた…。

だが、嫁はあくまで他人なので、こちらからやいやい言えない。
兄たちは「仕事があるから」の一点張りで、自分たちが
オムツ交換や食事の世話をするべきことを忘れている。
男なら当然とばかりの態度が許せなかった。

私は母子家庭で、世帯主でもあり、娘もまだ高校生である。
本来、すぐに働かなければ年齢的にもかなり厳しい。
また仕事に就ける日はいつなのか不安はあったが、
母の復活のためにはしょうがないと自分に言い聞かせてがんばった。

入院付添から、引越、諸手続などでかなり疲れてストレスもたまっている。
介護がこんなに大変なもとのは、母が倒れるまでは考えたこともなかったし、
ましてや失語症で話せない母にもかなりのストレスがあり、
それを理解しようとする私のストレスもピークに達していた。

つづく
自宅介護の日程
2012-04-21-Sat  CATEGORY: 介護と兄弟関係
自宅介護にあたっては、ケアマネージャーと相談しながら、
1週間の介護、看護のスケジュールを決めている。

基本は私が付き添っているのでオムツ交換や食事、洗濯、
掃除などは自分でする。

病院でやってもらっていた看護やリハビリと自分一人では無理な入浴などを
中心にサービス利用の計画を立て、母が慣れてきたら、
いずれは1日施設で過ごすデイサービスや、何日か泊まるショートステイなども
利用して、私の負担も徐々に減らす方向には持っていくつもりだった。

今はとにかく、母が倒れてから半年間のリハビリで勝負で、
それが脳梗塞の後遺症を左右すると先生から聞いていたので、
リハビリ優先の生活日程にしていた。

つづく
長い一日
2012-04-20-Fri  CATEGORY: 介護と兄弟関係
夕方、薬を飲ませてから母と、娘と3人で夕食をとる。
娘が3歳のときに私が離婚して以来、母は孫である私の娘の面倒を
本当によくみてくれた。
兄たちの子供は全員が男の子なので、この娘がなおさらかわいいようだった。
なので、これから娘と一緒に食事ができることが嬉しいようだ。

食後歯ブラシをし、娘は階下の賃貸している部屋へ。
これからは高校生の娘は下の部屋で受験勉強、就寝、通学準備などをする。
私は自分の着替えなどの荷物をとりに行くときだけ下へ降りた。

午後7時、検温、血圧測定。午後8時、のどが乾いているようなので、
ストローでアップルジュースを飲ませた。

午後8時半、三男家族が再度訪問。花を退院祝いに持ってきた。
家族とは思えない、非現実的なお祝いに私はがっかりした。
母は三男の嫁に気を遣っているようで、顔の前に手を持ってきてお礼を言っていた。
三男夫婦は30分で帰宅。

午後9時、熱いタオルで顔を拭いて、オムツをチェック。
午後11時、オムツを夜型の尿とりパッドに変更して、
朝までゆっくり眠るように母に話しかけて、眠らせた。

このまま朝を迎えたかったが、残念なことに何度もベッドの柵を
たたいて音をたて、私を起こした。
入院中、看護師が2時間おきにオムツをチェックしに回っていたので、
夜中も起こされていたようだ。朝までオムツはもつのだが、
そのクセがついてしまったようで、しょうがなく私もオムツをチェックした。

これから夜、ぐっすり眠れる日がくるのだろうか…。

つづく
自宅介護のスタート
2012-04-19-Thu  CATEGORY: 介護と兄弟関係
病院から私のマンションまでは近いので車いすを押して
母を連れて帰ってきた。荷物は長男、三男が車で運んでくれた。

私のマンションに到着。エレベーターで上階の部屋へ。
母は元気なときに何度も訪れているが、以前来たときの形はなく、
自分のためにすっかり改築されているのを見てまた泣いて喜んでいた。
その様子を見て三男が「これからはここで生活しろよ」と母に声をかけた。
だが、母の生活費は母の貯金でまかなうので、長男も三男も一切なんの
援助もない。
まるで自分が改築してやったかのように声をかけているのが
ちょっと腹立たしかった。

午後3時、父や長男夫婦、三男夫婦が帰り、母にお茶とおやつを食べさせる。
その後、ベッドに移動させ、尿とりパッドを取り替えてた。

ベッドまわりに、オムツ、ティッシュ、汚物入れのゴミ箱、
爪切りや綿棒など小物を入れる棚、移動可能なテレビ、
食事用のキャスター付きテーブル、などなど、病室がそっくり
この部屋に移ったようにしてある。

その横には歩行リハビリ用の平行棒も置いてある。

私の寝床は、母の介護ベッドが大きいので、ソファベッドである。

母が昼寝をし始めたので、私はその間に夕食の準備をした。
これからは母の食事を私が用意するので、気が抜けない。

つづく
いよいよ退院
2012-04-18-Wed  CATEGORY: 病院
家の改築、介護保険の手続き、サービスを受ける上での準備など
おおまか終わり、いよいよ退院する日を決めて主治医に伝えた。

今まで入院中ずっと毎朝、母の髪を櫛でといて三つ編みにしてきたが
自宅でもそれを続けるのが大変なので、母に「髪を切っては?」と言うと
母も笑ってうなずいた。
そこで、病院の地下にある理髪店に車いすで連れて行き、
ばっさりとショートカットにしてもらった。

さすがに病院の中の理髪店だけあって、遠慮無くばっさりと切り
後ろはやや刈り上げ状態だった。

それを鏡で母に見せて「男前になったね!♪」と言うと
声を出して笑っていた。
こんなことならもっと早く切っておけばよかった。

さて、いよいよ退院の日、レンタル介護用品のうちのひとつ、
外出用の車いすを持って母の病室にいつものごとく朝早くに行った。
母は自分専用の車いすをtじょても嬉しそうに見ていた。

その車いすでトイレ誘導したが、足や側面が跳ね上げ式で、
自走式でなく介助式の車輪なので小回りもきいて、
便座への移動もとても楽である。
我ながら、選択がとてもよかったと思った。
はやり、介護も道具しだいでかなり楽になる。

午後2時に退院だが、午前中から父や長男夫婦、三男夫婦もきてくれて、
退院の準備を手伝ってくれた。次男は相変わらず顔を見せない。

退院で、病棟を出るとき、母は、3ヶ月以上お世話になった看護師たちに
泣いてお礼の意を表していた。
看護師たちもとてもうれしそうに「おめでとう!」と言ってくれた。

つづく
バリアフリーに改築
2012-04-17-Tue  CATEGORY: 介護と兄弟関係
ケマネージャーになると言う人の紹介で補助金制度を利用できるリフォーム会社を
紹介してもらい、改築には最低20日はかかると言われていた。

その間に、ケアマネージャーと正式に契約、介護度5と保健所から認定を受け、
自宅での介護プランを作成してもらい、訪問看護、訪問リハビリ(身体)、
訪問入浴、通院できる言語リハビリの病院の手配、その通院の際の介護タクシーなど、
多種の介護サービスを利用できるように大急ぎで準備した。

時間もなく、ゆっくり計画を練る間もあまりないので、
自分の部屋を改築するのにじっくり吟味する間もなく、
壁をなくして大きなリハビリ兼病室を作ることしか出来ていない。

見舞いに一度も来ない次男は後に、この改築は私の私欲の為だけにしたものだと
主張してきたが、誰が好んでトイレのドアや壁をなくし、仕切りのない部屋で
プライバシーも確保できないような部屋作りをしたいだろう?!

生活費を目的に、母の貯金が欲しくて行った行為と決めつけていたが、
その時に母のそばにいた父や長男、三男の同意のもとに始めた改築である。

次男もその時に数回でも母の見舞いにきて、父や私たちが介護をしている様子を見て
家族と話す機会を持っていれば、次男の意見も充分反映できたはずである。

その時に私以外の誰かが「自分が母の面倒をみる」と言ってくれれば、
預かった母の貯金も父に返して、その人が再度父から譲り受けられたはずだ。
私もこんなにきつい想いをしながら頑張らなくてもよいのだから…。

やっと改築が終わり、私が寝泊まりするための荷物と、冷蔵庫など
必要なものを再度、階下から移動して、レンタルの介護ベッドなどの搬入や
訪問サービスとの打ち合わせなど、病室での付添も今まで通りにやりながら、
必死で入院3ヶ月で退院できるように間に合わせた。

退院前に、私が病院と自宅を何度も何度も行き来するのを
母も主治医も看護師もとても心配してくれた。
他人のほうがずっと親切だったのが身にしみた。

つづく

自宅介護にむけて…
2012-04-16-Mon  CATEGORY: 母子生活
我が家は古い小さな分譲マンションであるが、
その部屋を改築するということで、まずは
今の自分の生活をどうするかを考えなければならない。

母の介護ベッドを置き、車いすで移動できるように
トイレまでの通路やスペースを確保し、
歩行訓練用の平行棒も置くことも必要…、
3LDKとは言えそんなに広くない…。

この時すでに約10年、私と私の娘と2人で住んでいた場所だから、
相当の家具・家財があり、これをなんとかしないと母のベッドは無理だ。

また当時大学受験目前の高校3年生の娘にはゆっくり勉強できる部屋も必要と
いうことで、同じマンション内でもう一部屋どこかが分譲貸しをしていないか
近くの不動産屋に相談した。

そのとき運良く階下で賃貸にしている空き部屋があり、そこを借りて
一旦は、私と娘のすべての荷物を移動させた。
かなりの量の荷物で、同じマンション内とは言え私と娘だけでは無理なので
小さな引越業者に荷物の運搬を依頼した。

結局、もともとの自分たちの部屋は、母のリハビリ病室として改築し、
その部屋に私は介護をしながら寝泊まりもすることにした。

私と娘のプライベートは生活の場は階下の部屋に移動となり、
実質的に、娘の一人暮らしの始まりでもあった。

上の部屋を介護部屋に提供することで、私以外の手伝ってくれる人たちの出入りも
気兼ねなくしてもらえるのも利点だった。

父もそれならその部屋に毎日通うと言ってくれた。
階下の部屋の家賃は父から預かった母の貯金で支払うことに決めた。

つづく
兄たちの勝手な都合
2012-04-15-Sun  CATEGORY: 介護と兄弟関係
さて、3人の兄に、今後の母について現実的な相談をすることになる。

本来、率先して親の面倒を見るべき長男は、電話でこのことを相談したら、
自分の自宅が3階建ての工場兼用の家であり、
居住部分は長い階段を上がった3階部分のみで、エレベーターがないから、
車いす生活は無理だと主張した。
ましてや、改築する費用など工面出来ないことを愚痴っているだけだった。

実家とは別に、父が所有している、実家から近いところに空き家が一軒あるのだが、
父がそこの改築を費用が掛かりすぎることを理由に反対した。
ましてや、そこを改築して母が入居できたとしても、誰が毎日そこへ介護しに行くのか…
ずっと病院に通っている私が今度はそこへ一日中通うこと、もしくは同居することは
考えられなかった。長男は、そこを改築したら、自分も毎日通うと言った。
だが、病院にも毎日来ない人間がなぜ、そこに毎日来ると約束できるのか不明だった。

次男や次男の嫁は見舞いに一切来ないので、父や長男から、相談にのるように
何度か話しているようだったが、まったく自分には関係のないことのように
無視し続けて、そもそも母親が長生きしていることがうとましいようだった。
なので、その後に母について、何事も一切、こちらからは連絡しなかった。

残るはエレベーターのある三男のマンションかもしくは私のマンションを
車いす仕様に少し部屋を改築して面倒を見ることだった。

その話題になると、私が主に母の面倒をみるのだから、やはり私のマンション
の部屋だろう!と、父も兄もそれが当たり前のように話し、嫁たちは
そうしてくれたら、自分たちも順番に手伝いに行くと、やや申し訳なさそうに
私に話した。

ほとほと兄たちの無責任さに嫌になり、1ヶ月しか期間がないこともあって
私のマンションの部屋で母の介護をすることに決めた。

私の部屋を改築する費用は、父から預かっている母の預金から出すということを
同意を得て、私も腹をくくって、その準備にとりかかった。

つづく
老老介護は無理
2012-04-14-Sat  CATEGORY: 介護と兄弟関係
後1ヶ月でこの病院を退院し、自宅介護をする…、
そう決めたものの、さしずめ、何からしてよいのかわからなかった。

まず見舞いに来た父に相談し、自宅介護と言えども
父しか住んでいない、元々の母が住んでいた実家では
2階建ての一戸建て住宅で、段差が多く、改築するには相当なコストがかかるし、
まず2階にはあがれないので1階部分だけで介護やリハビリは困難、
ましてや同じく年老いてる父が母の面倒は見るはずもない。

これは、やはり3人の兄に相談するべきだろう…。

つづく
3ヶ月をメドに…
2012-04-13-Fri  CATEGORY: 病院
新しい主治医の先生は、日参する私のことをいつも気遣ってくれていた。

ある日、「今後のことを決めなければいけないのですが…」と私に話しかけてくれた。
どうやら、母の症状ではこの入院は3ヶ月が精一杯で、次は自宅に戻るか、
もしくは療養型の病院に移るか、今月中に決なければならないとのこと…。

私は、この病院以外でのリハビリのことを訪ね、
療養型の病院ではリハビリはないので、ほとんど寝たきりになると聞き、
母のリハビリによる更なる回復を信じていた私は
その場で躊躇無く「では自宅介護に向けて検討します。」と返事した。

つづく
主治医の交代
2012-04-12-Thu  CATEGORY: 病院
入院生活がすでに2ヶ月になろうとしていた。

ある日の午後、主治医がきて、「私は、インターンだったのでこの病院は
今月で終わります。」と伝えた。

母はお世話になったかたたちにはかならず丁寧に
お礼を言うタイプの人だったので、きっとこのインターンの先生にも
何かお礼の気持ちを表したいだろうと思った。

結局、何をしていいかあまり良い案も思いつかなかったので
月末の最後の日に病院裏の花屋で1本バラを買って、
車いすでナースステーションにきた先生のもとへ母を連れて行き、
母親から麻痺でない左手で先生にその花を差し出して、
「あも…」と声を出した。

すぐに話せない母の代わりに私が「お世話になったお礼を母が言いたいらしく…」と
付け加えて説明した。

母が手を顔の前にもってきて「ありがとう」を表し、周りの看護師や他の先生に
「タマヨさん、すごいね~」と言われて恥ずかしそうにしていた。

翌月に入り、主治医が転勤になっても私が毎日、病院に朝から詰めていることに
変わりはない。

朝一番にあいかわらずベッドごと処置室に移動させられている母を
迎えに行って病室へ戻る。午前中に着替えと身体清拭があり、
洗濯のために車いすに乗った母と一緒にコインランドリー前の廊下で
乾燥が終わるのを待っていたところ、若い男性の先生がやってきた。

「引継いで私が主治医なりました。」と挨拶をしてくれて
その廊下でそのまま母の手や足を優しく触診してくれた。

この先生は神経内科専門を目指すインターンらしく、
脳梗塞のことなど、前任の先生よりも詳しいようだ。

母は前任が女性の先生だったが、今度はかわいい若い男性の先生なので
とてもうれしそうにしていた。

いくつになっても、やっぱり「若い男性」にはときめくようで、
私はつい笑ってしまった。

つづく
車いすでトイレに行ける!
2012-04-11-Wed  CATEGORY: 病院
母の嚥下の訓練も進んで、最近は食事もペースト状のものから、
やや固まりのあるおかゆや、形のあるおかずを食べられるようになっていた。

そうなると人間の身体はやっかいなもので、母は便秘になりがちで、
どうしても摘便をしてもらうことも多くなる。

「ベッドで寝たきりでオムツの中で用を足す」…意識のある人間ならば
どう考えても抵抗があり便秘にもなるだろう。

もし、母がトイレで座ることができれば少しは楽になるのでは?…と
私は看護師に相談して、夜の就寝中はテープ型のオムツで、
日中はリハビリパンツのオムツに替えてもらえないか聞いた。

テープ型、つまり寝た状態で開くので介護の人が処理しやすい。
パンツ型は、上げ下げして着脱するので、基本、立つことが必要となる。

なので、車いす用のトイレに誘導し便器に座らせれば
後は手すりを持たせて立たせ、パンツの脱着が可能だからである。
だが、母が立てるかどうかは自信がなかった。

看護師と話して「とりあえずチャレンジしよう!」ということになり、
さっそくパンツ型のオムツも購入して、朝食後にそれに交換した。
頭ではわかっているが、果たして本当に私にそれができるだろうか…。

少ししてから、私ひとりで車いすに移動させてトイレへ連れて行く。

トイレにある手すりを母に左手で握ってもらって、
私の介助で便器に車いすから移動させた。

もう一度便器前の手すりを母に握らせて立たせてみた。
母は震えながらもしっかりとつかまり立ちができている!
私は素早くパンツ型オムツを下ろし、再度便器に座らせた。
普通にトイレで座る情景だが、私はこれだけで感無量になっていた。

母は少しだったがちゃんと便器で、トイレで、用を足した。
私は、バカみたいだがその瞬間は思わず「やった!」と叫んで喜んでしまった。
母も満足な表情だった。

感動のトイレから病室に戻ると父が来ていた。興奮気味にすべてを報告し、
この「トイレで用を足す」という、普通の人間なら当たり前のことが、
今こうやってできて喜ぶ自分が不思議だと話した。

この日は午後のリハビリで先生につかまり立ちが出来たと報告し、
つかまり立ちができることは大いに先に期待ができると先生も言ってくれた。
この後、立つ訓練が多く取り入れられている。

午後もまたうまくトイレに誘導でき、かなりの進歩と主治医も認めてくれ
その後の嚥下訓練の先生も「明日からまた食事の固さをもう一段階上にする」と言ってくれた。

今日一日で大きな回復だった。

つづく
夜中の怪獣
2012-04-10-Tue  CATEGORY: 病院
母が入院して1ヶ月半、私も母もがこの生活にようやく慣れはじめたころ、
母も最初は世話をしてくれる人にとても遠慮がちだった態度が
最近は、声を出して何かを要求する姿も多くなってきた。

まったく言葉が話せない、通じない…もちろんストレスがたまるはずだ。

最近は午前7時半ころに病室にいくと、部屋のカーテンを開けると
ベッドごと無くなっていてガラーンとしていてびっくりする。

どうやら母が、夜中に大声を出してうなって泣いてを繰り返すらしく、
同室の患者さんたちに迷惑になるので、看護師がしょうがなく
ベッドごとナースステーション横の処置室に運んでいき
夜通しで母の機嫌をとっているみたいだ。

私はこのころの母の様子を「夜中に出没の怪獣」と呼んでいた。
看護師の話だと「うー!あーっ!」と相当うなっていたらしい。
看護師たちも「昨晩も怪獣になりました~」と冗談ぽく言ってくれた。

だが、同室の人の安眠妨害もこまりものだが、夜勤の看護師の仕事を
ジャマすることにもなり、毎晩のように処置室で面倒をかけることが続き、
さすがに私も看護師たちに申し訳なく、数回、お菓子の差入れをして、詫びている。

朝、私が処置室に迎えに行くと母はたちまち機嫌がよくなり、
またベッドで病室へ戻り検温、目薬をして髪をとくのが日課になっていた。

つづく
変人カップルの次男夫婦
2012-04-09-Mon  CATEGORY: 介護と兄弟関係
私が毎日ずっと、病院で介添えをしている間、
時々、三男嫁と、長男嫁も見舞いにきてくれるようになり、
オムツ交換やトイレ誘導など私が覚えたことを説明して、
2人にも来たときにはやり方を見せて、覚えてもらった。

この2人の兄嫁は、どちらもパートに出ていて、その仕事の
ないときにこうやって病院を訪問している。

皮肉なことに、この2人は母の介護を通して、それをきっかけに
ヘルパーの資格を取り、長男嫁は、今勤めているパート先が倒産してからは
訪問介護の会社でヘルパーとして勤めている。

どちらにしても、長男と三男はたまに母の様子を見にきたり、
こうやって各嫁に頼んだりしているが、
家族としての何の役割も果たさないのが次男とその嫁である。

次男嫁は2~3回見舞いに来たが、いずれも挨拶だけで帰っている。

母が元気なときにあまり仲がよくなかったらしく
「今日は道で次男嫁を見かけて声をかけたが無視された」などと
母から聞かされていたので、それもしょうがないのかと思っていた。

嫁はともかく、ひどいのは息子である次男がまだ一回も来ていないことだ。
母が元気なときに散々世話をかけた親不孝息子だったが、
母が倒れても、なんら改心することはないようだ。

父が次男宅を訪れて「おまえだけが見舞いに来ていないのはおかしい!」
と言ったようだ。

さすがに父の持っている土地で家賃未納で事務所兼自宅を使用しているからか、
数日後に母が倒れて初めて病室に来た。
だが、後にも先にも見舞いに来たのはそれっきりであり、
それ以後、電話ですら母親の病状などをたずねることは一切なかった。

次男の同級生の友人が、「おばちゃんには世話になったから」と
何回も見舞いに来てくれている。
この親友のほうが本当の息子のようだった。
なぜこんな優しい人が次男と友人なのかが不思議だった。

つづく
リハビリ室にて親子教室
2012-04-08-Sun  CATEGORY: 病院
最近は1Fのリハビリ室に私が車イスで母を連れて行き
広い場所でリハビリをしてもらっている。

母は私がいないと、先生だけではすぐにあきらめるので、
いつも私がそばに付いてサボらないように見張っていた。
若い先生には甘えても、娘の私にはちょっと気兼ねするようだ。

それが幸いして、私はこのときに先生から母を移動させる
多くの介助のコツを教わっている。
なので、無理に力任せに移動したりは一切せずに済んでいる。
まるで、親子教室に通っているようだった。

リハビリを終え部屋に戻ると父が来ていた。午前中は寝ていたらしい。

午後3時、母は看護師にお風呂に入れてもらう。
椅子に座ってシャワー浴をしてもらうが、
椅子で不安定なのがイヤだったようで母は入浴中ずっと
奇声をあげて怒っていた。
なので、これからはストレッチャーで寝た状態で洗ってもらう
ことにした。

夕方、検温したら微熱があり、今日は便もまだ出ていない。
夕食を食べさせて、氷枕を看護師にもらう。

一旦帰宅していた三男がまた見舞いにきたので、私は
尿取りパッドを交換して、後は三男にまかせて、帰宅した。

三男だけはこうやって休みのときに様子を見に来るので、
結局、今後のことは父と、三男と私とで相談することが多くなる。

つづく
介護認定の手続き
2012-04-07-Sat  CATEGORY: 介護と兄弟関係
私はいつものように朝から病院に。

検温、尿とりパッドを交換して、シーツ交換を待つ。

午前9時、主治医と面談。気になる病状などを話すなか、
母が元気なときから白内障で通院していたので、
そのことを主治医に伝え、この病院内で
眼科検診をしてもらうようにお願いした。

実家から持参したずっと点している白内障の目薬が
なくなりそうだったからである。

午前中に必ず来る父がまだ来ていないので少し心配だ。

午前11時、三男が今日は仕事が休みだと言って見舞いにきた。
退院後の自宅介護について二人で話し合う。

三男に区役所へ行って介護保険などについて詳しく聞いて
もらうことにした。

午後1時半、三男が戻ってきて、区役所で聞いたことを教えてくれた。
まずはどこの施設でもよいので担当のケアマネージャーを決めて、
介護度認定は区役所から調査員が面会に来るらしい。

とにかく母の介護度を決めてから利用できる範囲も決定されるとのこと。
日数がかかるので早く手続きをしたほうが良さそうだ。

でもこの日は、母のリハビリや入浴もあるので
私の自宅近くにある特別養護老人ホームに、ケアマネージャーを
依頼することにし、私が明日、看病の合間に訪問することにした。

つづく
リハビリで嚥下力アップ!
2012-04-06-Fri  CATEGORY: 病院
入院して約1ヶ月が経過した。
朝、私はいつものように病院へ。母はまだ眠っている。めずらしい。

昨日、尿管をはずしてずっとぶら下がっていた尿袋から解放されている。

目を覚ました母に「おはよう!」と声をかけ、検温、点眼をすませる。
車いすに座らせて、髪を濡らしてとかす。髪が長いのでゴムで三つ編みにする。
母は元気なときから髪を伸ばして後ろで束ねていたので、
髪をといてもらうのを喜んだ。
こうやって毎日三つ編みにするのも日課になっていた。
まさか母も80過ぎてから、女学生のようにお下げ頭になるとは
おもっていなかっただろうが…(笑)

午前8時朝食が運ばれてきた。嚥下力がアップして食事内容も、
ゼリーだけだったものが、「おもゆ、卵、青汁、牛乳」、
食後に「高カロリーの栄養ドリンク」と、ずいぶん人間らしい食事になっている。
と言っても、すべてペースト状態のものだが…。

味もあまりよろしくないようで、この日は青汁がそうとう不味かったらしく
母は吹き出して「マズイ」顔をする。

その時ふと思いつき、私が持参していた母の好きなあんパンを
一口食べさせてみた。すると母は美味しそうに何度も咀嚼して
ゴクリと食べた。

昼食は、リハビリの先生が来て咀嚼練習しながら食べさせてくれる。
メニューがペーストの「おかゆ、卵、とうふ、ヨーグルト、すりりんご」だったので、
その先生に朝のあんパンの話をしたら、週明けからはもう少し固めの食事に
アップすると言ってくれた。

つづく
車いすに乗れる?
2012-04-05-Thu  CATEGORY: 病院
嚥下リハビリをスタートさせたこの日、もうひとつ良い事があった。

午後2時半過ぎ、身体リハビリの先生がきて、いつもの手足マッサージの後、
「今日は車いすに座ってみましょう」と言ってくれた。

え?車いす? 尿袋をぶら下げて、点滴もしてるのに?!
母の身体からはいろんなチューブがぶら下がっているのに
それをしたままベッドから車いすに移動することなんて
考えもしていなかったので、ちょっと驚いた。

母は右マヒ、なので左側は基本、動かせる。
それを利用すればそんなに大変ではないとその先生は言った。

ベッドのすぐそばに車いすを置いて、先生は動作をしながら
「こちらをお母さんに左手で持ってもらって、こちらを持って介助して、
こちら向きにお尻をまわしてあげて、こうやって…」と、
まるで手品のように母の左手を支点にして母の身体を軽く動かし、
あっと言う間に車いすに移動させた。

「無理して両手で抱えなくても、お母さんは動けますよ。」と言ってくれた。
これは、私にも母にもうれしい発見だった。

その後、車いすに座ってナースステーションのところまで散歩したら、
看護師たちに「よかったね~!」「すごいね~!」と声をかけてもらい、
それを聞いた母は大きな声を出して泣き出した。
感無量だったのだろう。ずっと寝たきりだったのでこの時一気に感情が
吹き出したようだった。

私も感無量になった。

この時の車いす移動のやり方を教わったことは、私にとって
この後の介護に大きな力となった。

部屋に戻り血圧を計ったら160に上がっていて、
「興奮したからかな~?」と言って笑ってその日のリハビリは終了した。

明日からはお風呂(シャワー浴)も週1回入れるとのことで、
尿袋があっても結構色んなことができるのだと感心した。

夕方に三男嫁がきたので、今日の事を全部説明した。
三男嫁もこのことを帰ったら三男に報告すると言って喜んでくれた。

つづく
嚥下リハビリ開始
2012-04-04-Wed  CATEGORY: 病院

洗髪してすっかりリフレッシュした日の午後、母のところに
嚥下リハビリの先生がやってきた。

私がヨーグルトを食べさせたことを聞いて、主治医がこのリハビリの先生を
よこしたようだ。
ほんとに嚥下ができるかを確認したかったのだろう。

その先生は母に持ってきたゼリーをスプーンで一口食べさせて、
きちんと嚥下できる母を見て、「明日からは朝夕の2回、
このゼリーをゆっくり食べさせて下さい。昼食のときは私が来て
食事介助しながら嚥下のリハビリをします。」と話してくれた。

「口から物が食べられる!」それだけで幸せだったが、
右マヒにより、口の右側から食べたものがこぼれ落ちたり
口内にも嚥下しきれないものが残ってしまうので、
これからは食事の度に、リハビリで咀嚼練習が必要だった。

つづく
寝たきりベッドの上で洗髪
2012-04-03-Tue  CATEGORY: 病院
ずっと母を寝た状態で口を開けさせてガーゼで口腔内清拭を
してくれていた看護師が、「歯ブラシを1本買ってきてください」と言った。

私はすぐに上階の売店で購入し、看護師に渡すと
歯ブラシで母の口腔内を磨きはじめた。

そのやり方を教わって、これからは私が毎日することにした。

その日は看護師数人で熱い蒸しタオルを使って身体の清拭、
パジャマの着替え、シーツ上に敷いているバスタオルの交換もしてもらった。

こんな日は私も汚れたパジャマやタオルを病棟にあるコインランドリーで
洗濯をするので結構忙しい。

洗濯を済ませて病室に戻ると、母はベッドに寝たままの状態で、
看護師に洗髪をしてもらっていた。
ベッドに寝たきりでシャンプーすることなんて想像していなかったので、
私は何でもする看護師のありがたさを実感した。

母は久しぶりの洗髪だったので、とても気持ちよさそうだった。

つづく
嚥下できる!!♪
2012-04-02-Mon  CATEGORY: 病院
耳鼻科の先生の診察にどうも納得がいかない私だったが、
それから1週間ほどが過ぎた。

私はいつものように朝7時半過ぎに病室へ。
電動ベッドを起こして座ることにも慣れて、
バランス悪く横に傾く度合いも少しマシになってきている。
それでもやはり右側には予備の枕で身体を支えてまっすぐにしている。

母の髪をとかしてから、リップクリームをつける。
私と目があってちょっと照れくさそうに母は笑い、うれしそうだ。

検温36.9度で微熱もなく、目薬点眼。

「嚥下できない」ことが気になっていたので
咽せるのを覚悟で試しにお茶を飲ませてみた。
やはり咽て飲みこむのが大変そうだ。無理なのか…。

「こうなったらダメ元でしょー?!」と母に話しかけ
私は開き直って、私の昼用に買ったヨーグルトを
母の口にスプーンで入れてみた。

するとなんと!? 母は舌なめずりをして美味しそうに
食べている?!
「あれ?食べた?飲み込んだ?」と母に聞くと
母はうれしそうにこっくりとうなずいた。

もう一度、スプーンで一口…、母は舌なめずりをして
「あー」と声を出し美味しいと言っているようだ。

私はこのことをすぐに病棟の看護師に伝え、
看護師も「ほんとですか?♪」とうれしそうに答えて
「すぐに主治医に話します!♪」と言ってくれた。

つづく
専門医は確か?
2012-04-01-Sun  CATEGORY: 病院
ある日の午後、耳鼻科の先生が母の嚥下能力を確認するために
看護師を連れて、病室にやってきた。

ベッド上の母の上体を起こして上を向かせ、
先生がベッドの脇からイスの上に立ち、母に口を開けさせて、
上からガーゼの水を垂らして母の喉に入れ、
母の嚥下する状態をチェックした。

何度か試して、水が喉の奥を通ると咽せてしまう母を見て、
「自分の意志をもってゴクリと嚥下する能力はないですね」と言った。
「もうこれからは口からは何も摂取できないだろうと思われます…」と言い、
そのまま病室を出ていった。

確かに母は咽せたが、上を向かされて水を垂らされて、
果たして健全な人でもゴクリと飲めるのか?!

なんとなく釈然とせず、ぼーっとしている私のそばで、
母が泣き出した。
自分がもう口から何も食べられないと言われたことが
とてもショックのようだった。

ちょっと配慮のない耳鼻科のその先生に、私はとても腹がたった。

本当に専門医が決定することは確かなのか?!

つづく
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