バツイチ子持ちの私、母の介護、父との確執、不義理な兄たちとの遺産相続争い、成人する娘へのけじめ、唯一の癒しとなる愛猫のお話です。創作ではありません。
そこに愛はありますか?…突然の介護から…
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夏から秋へ
2012-06-30-Sat  CATEGORY: 母子生活
母がペグでの食事になったが、しばらくは安定した日々が
続いていた。

大学生だった娘は、就職の内定も決まっていて、
好きなダンス留学で夏の1ヶ月間をアメリカで過ごした。

その間に私も、もやもや病の定期検査と
残っている動脈瘤の様子を見るために
カテーテル検査のために1泊2日で脳外科で入院している。
結果は、動脈瘤の大きさも変化なく、とりあえず
もやもや病の脳での血流も落ち着いているとのことだった。

秋になり、母は86歳になっている。
82歳で倒れて失語症と半身不随になった母は丸4年が過ぎ
5年目でペグにはなったものの、まだまだ生きる気力は見せていた。

10月になり、サイコな兄嫁(次男嫁)は、相変わらず施設に
母のカルテの情報開示を求めて、施設を運営している組織の
理事長宛に手紙を送ったりしているようだった。
私にはまるで、嫌がらせにしか思えなかった。
すでに父の遺産相続争いは終わっているのだが、
どうやら、この次男嫁は自分の意地で施設に
母の病気をネタにずっと恐喝しているようだった。

つづく




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結局は追加費用…
2012-06-29-Fri  CATEGORY: 介護と兄弟関係
施設の栄養士と、最新のペグ用の注入食を導入してもらうために
面談をした。

その注入食のカタログを病院からもらって栄養士に見せたら、
「その仕入れ先は、施設でも利用している会社なので、
入荷することは可能で、仕入れ値でかまわないので、
それを母本人が別途支払うなら導入してもかまわない」とのことだった。

何時間も掛けて点滴スタイルで注入するよりもずっと簡単になり
普通に調理した食事を液体状にする手間も省ける。
スタッフの時間も労力も削減されるのに、こちらにその費用を
負担させることに、ちょっと疑問はあったが、母のために
承諾した。

まだこのチューブスタイルの注入方法を知らない施設のスタッフは
母の退院前に、栄養士と一緒に病室まで見学に来ている。

医療の世界は進歩がはげしく、実際に現場に携わる人たちでも
日々研修するらしい。

これを摂取すると、真っ黒い便がでる。
はじめて見た人はびっくりするらしい。私も驚いた。

この方法で準備を進めて退院許可がおり、
一度風邪により高熱を出し、延期されたが、
1ヶ月半ほどの入院を終えて、無事に施設に戻った。

夕食時にはペグの注入食を家族でやり、
身上後見人である私達がメインで体調チェックなども
続けながら、母の施設での生活が定着した。

今まで、「がんばれ、がんばれ」と必死で食事をさせる
ストレスから、母も家族も解放され、おだやかな日々が過ぎていた。

注入食の追加費用を払わされる以外は満足の介護生活だった。

つづく
最新医療と特養施設のギャップ
2012-06-28-Thu  CATEGORY: 介護と兄弟関係
なんらかの医療行為が常に発生する患者は、特養などの
入居生活に支障があり、時に退居要求があるようです。

母の場合は、胃ろうで、入居後にこの状態になったので
母の施設では、スタッフが食事時に、各自の部屋にて
処置してくれるとのこと。

ただし、その処置方法は、単に液体状にした食事を
点滴スタイルで2~3時間かけて注入する方法のみを
やっていて、母のように、直接、チューブで短時間で
注入する方法はやっていないし、新たにその注入食を
準備はできないかも…と、言われた。

点滴スタイルのものは母が嘔吐と下痢をするので、
不可であり、また、夕食に介助にいく家族g2~3時間も
かけて注入する方法に時間がとれないと言う問題もある。

最新の医療方法が、まだ施設で適用されないとなると
どうしたものか…。

とにかく施設の栄養士と相談することにした。

つづく
とうとう胃ろう(ペグ)手術
2012-06-27-Wed  CATEGORY: 病院
希望通りにずっとかかりつけの病院に入院して、
ホッとするのもつかの間、主治医に面会すると、
胃ろう(ペグ)手術をすることを薦められた。

口から摂取せずに胃に穴をあけて直接栄養剤を
注入する方法である。

少し、抵抗がある私に、主治医はこう説明してくれた。
無理に口から嚥下するよりもペグのほうが
母も家族も楽になるし、胃に穴をあけても
嚥下力が回復すれば口からも摂取はできる。
手術もそんなに大変なことではないし、
わかりやすく説明した良いビデオもあるので、
見て考えてほしいとのこと。

後日、私やそのほかに母に食事介助をしていた
三男嫁、長男嫁もビデオでの解説を見て、
手術をしてもらうことに同意した。

入院して2週間ほどで、手術を終え、
これからのペグからの食事摂取の方法を
看護師から教わることになった。

点滴タイプのゆっくり1時間ほどかけて注入する方法は、
入所している施設でもやっていて、その方法を試したが、
母は下痢や吐き気を起こし、体質的に合わないようだった。

最新のペグ用のレトルトパックで、ゼリータイプの
直接絞りいれる方法なら、摂取も数分で終わるし、衛生的であると
提案された。
どうやら、それは最近に開発されたものらしい。
名前も「メディエフプッシュケア」という注入食だった。
その1袋と同時に、栄養を定着させるための水分ゼリーを
数十秒でペグから絞り入れるだけで、とても簡単だった。

結局、母は、それを入院中ずっと摂取した。

つづく
施設の主治医の言い分
2012-06-26-Tue  CATEGORY: 介護と兄弟関係
今の施設(特養)に母が入所してから、2年半が過ぎていた。
父が亡くなって2年である。

春から食欲が低下しはじめ、お茶もよくむせるようになり、
ストローで飲んでいたジュース類もあまり飲まなくなっていた。

水分が不足していると施設の栄養士も心配してくれていた。
もちろんペースト食も飲み込むのが大変そうで、
スタッフが介助する朝食、昼食はあまり食べられず、
家族が介助する夕食だけを辛うじて完食していた。

最近はその夕食もあまり食べられなくなり、
口にはふくむが飲み込まずにいつまでも
もぐもぐしているばかりで、どうにもならない状態になってきた。

5月の終わり、主治医から私が呼び出され、話があるとのこと。
内容は、母が栄養不足に陥ってきていると言われ、
この施設の系列病院ならば緊急ですぐに入院できるが
こちらの希望の当初からお世話になっている病院では
そんな緊急措置ができないから、いざというときに
間に合わないかも知れないと懸念された。

確かに系列の病院の副医院長をしているこの主治医なら
自分の指示でいつでも母をその病院に入院させることができるだろう。

しかし、以前にその病院に入院した母が、1ヶ月丸々寝たきりにされ
すっかり衰えてしまった経験上、こんな脅しには乗れない私がいた。

その日にすぐ、かかりつけの病院の主治医に電話し、
明日入院させてくれと頼んだ。
とりあえず外来まで朝一番にくるように言われた。

翌日、車いすを押して母を連れて行き、
外来診察していた内科部長の計らいで、
すぐに以前の病棟に入院させてもらえ、
いつもの主治医が担当医になってくれた。

施設の主治医の責任逃れのような態度より
この病院の対応がよけいに身にしみてありがたかった。

つづく
娘の短期留学、就職内定、母の入院
2012-06-25-Mon  CATEGORY: 母子生活
娘が家に戻ってきて、ほどなく家の近所に就職先を絞って
活動して、すぐに内定がでた。

娘はずっと小さいときからダンスを習っていて
ダンス教室の講師を通じてアメリカにダンス留学に
スカラーシップで1ヶ月滞在することができ、
そんな準備でバタバタとしていた。

このころ、世間でノロウイルスが流行し、施設でも
その対処に四苦八苦しているようだったが、
母も感染してしまい、すぐに4人部屋の母は、
処置のため個室に移されて点滴を受けながら、
下痢と発熱と闘った。

スタッフも何人も感染していた。
本当に「キツイ」「汚い」「臭い」の3Kの揃った仕事=
介護ヘルパーと世間で言われるのがよくわかる。
しかし、そんなスタッフの協力のもと、ノロウイルス感染は
治り、その後順調に食欲ももどり、元気だった。

食欲が戻ったといっても、母の嚥下能力は低下していて、
食事中に何度も「がんばれ」を連発して
飲み込ませる方法は同じだった。

介助し続けている私や三男嫁、長男嫁とともに、
口から食べられなくなったらもう終わりのような気がして
必死で毎日のペースト状になっている夕食を完食させることに
必死だった。

つづく
調停の終わり
2012-06-24-Sun  CATEGORY: 母子生活
10回もの調停を重ねて、父が亡くなって1年半が過ぎ
ようやく、父の遺産相続に決着をつけた。
私にはどう考えても不本意な結果だったが、
介護をしながらなので、もう疲れてどうでもよくなっていた。

このころ、大学の近くでアパートを借りていた娘が
就職活動をする上でも一旦、自宅に戻りたいといい、
我が家に2年半ぶりに戻ってきた。

久しぶりに母子での生活に戻ったのだが、
別々に気ままに生活していた私には、この娘の
だらしない生活がイライラさせることとなる。

そんな時に、時々一緒に食事などにも出かけるようになっていた
向かいのYさんちの奥さん(Mさん)は、亡くなった猫のことが
忘れられずに、猫のブログをスタートさせていた。

私は、そんなことがきっと心を癒すのだろうと、
なんとなく思っていた。

調停が終わったこともあり、Mさんとは仲良くなり、
私も外食して、飲む機会も増えてきた毎日だった。

このMさんに、介護のこと、娘のこと、そして不義理な兄たちのこと、
驚くべきサイコな次男嫁の奇行のことなどを酒の肴に
よく飲んでストレスを解消していた。

つづく
勝手な言い分の兄を信じるバカな私
2012-06-23-Sat  CATEGORY: 遺産相続争い
10月の半ば、調停9回目で、私が母からの生前贈与された
金額を引いて相続分与するという内容に納得が行かず、
審判にかけたいことを三男に伝えたら、
三男は初めにごっそり父親の貯金をくすねているからか、
「もうこれ以上、長引かせたくない。母の相続のときは
俺の取り分をお前にやるから、今回はこれで終わりにしてほしい」
と頼まれ、私も母の介護、次男嫁のこと、就職など、
ストレスもたまっていたので、この三男の申し出を受けて、
翌月の調停10回目で決着することにした。

三男とはこのときは口約束だったが、この約束を
裏切られるとは想像しなかった私は本当にお人好しのバカである。

税務署員、いまでは国税局に勤める国家公務員のこの三男が
介護を必死でしている自分の妹をコケにするなんて誰が想像しただろう…。

このころ、身上後見人の一人、長男嫁は勤めていたパート先が倒産して、
失業保険を受けながらヘルパー2級の講習を受け、資格を取得してから
友人経営の訪問介護の会社に勤務している。

仕事が忙しく、母の介護はあまり出来ない様子だったのが、
とても皮肉に思えた。長男の責任も果たさないまま、
取った資格で、他人の介護の世話をしている。

もし私が仕事で母の介護をしていたなら、いったい
どれだけの給料をもらえるのだろうか。

つづく
やっと仕事が見つかった
2012-06-22-Fri  CATEGORY: 母子生活
お盆が過ぎ、施設内で夏祭りがあり、母と三男夫婦と私で参加し、
母はとても機嫌がよかった。
血圧も安定している。ひとときは、異常者次男嫁を忘れて
母とおだやかな夏の日を楽しんだ。

私は、自宅でパソコンに入力する内職の仕事を続けていたが
所詮、内職なので工賃は非常に安い。

ただの気休めのような仕事だった。
なので、意を決して再度ハローワークを訪れた。

すると自宅の2軒隣にある、大阪府の河川を管理する事務所で
事務非常勤職員の募集をハローワークで見つけ、応募することにした。

10人ほど応募者があったらしいが、近所で通勤もしやすいことが
功を奏して、採用された。

在宅のパソコン入力の仕事をすぐに辞めて翌月から早速勤めている。
通勤時間が1分という好条件で、時間も夕方までなので
仕事の後で施設にも今までどおり通うことができるので、
採用されてとても幸運だった。

9月は母の誕生日があり、施設の誕生会で85歳の誕生日をお祝いしてもらっている。
そのときも家族としてかけつけた。

また、翌月は施設から、堺市で行なわれている「国際学生相撲大会」の見学に
連れて行ってもらい、いつもテレビで見て楽しんでいる相撲を、
学生ではあるが、間近で見ることが出来て、母はとても楽しそうだった。

今思えば、これがどこかに行楽で出かけた最後となっている。
母が倒れてすでに3年、父が無くなって2年が過ぎていた。

つづく
精神異常者と化した次男嫁
2012-06-21-Thu  CATEGORY: 介護と兄弟関係
8回目の調停が終わった2日後、次男嫁からようやく、私直接に
行動してきた。

次男嫁から自宅に配達記録で文書が届いた。
内容は、次男嫁が施設にカルテ情報開示要求するにあたっての
身上後見人である私に、署名を要求する内容だった。

この件を家庭裁判所に相談の電話をして、調査官が応対してくれたが、
直接私から次男嫁と次男に電話をしてみてはどうだと言ってもらったので、
私から電話をした。

いつもは電話にでないが、今回は運良く電話に出たので、
次男嫁に母のカルテ情報開示は必要ないと伝えると、
施設の主治医は信用できないので、次男嫁の知っている医者に
セカンドオピニオンとしてカルテを見せたいということだった。

私は「本来、最初に入院した病院の主治医が第一担当医であり、
受診もしているのでさらに他所の医者のセカンドオピニオンも
必要ではない。介護、介助に関わっていない次男嫁が
そんな心配をするのはおかしいのでは?」と話すと
「そしたらもういいです!」と怒っている。

次男と話したいので電話を替わってくれと言うと、
次男は不在、次男の携帯番号を聞いたが、
個人情報は教えられないと断られた。

そういえば、施設長も直接、母の息子である次男にこのことを
話そうと電話をしても、次男嫁が電話応対をしていつも次男は不在だと、
私に話したことがある。
次男に電話をくれるようにお願いしたが、電話はなかった。

こちらからの断りの電話だけでは不安だったので、翌日、
3人の身上後見人連名の署名で情報開示を必要としない旨の文書を、
原本を次男嫁宛に、写しを次男宛にそれぞれ配達記録で送付した。

施設長にもそのことを報告した。

家族間でこんなややこしい文書のやりとりをすることが、
あまりにバカらしいと思ったが、相手が異常者である限り致し方ない…。

つづく
前代未聞のクレーマー家族
2012-06-20-Wed  CATEGORY: 介護と兄弟関係
次男嫁の施設に対する嫌がらせは、母の介護を盾に取り、
まったく家族らしいことは何一つしていないにもかかわらず
自分が身内で、家族であり、すべての権利は自分にもあることを
主張しつづている。

私はこの次男嫁が取っている行動について、親族ではあるが
実際に介助している家族とは別行動であり、母の入居状況について
施設には何の不満もないことを文書で施設長に謝罪している。

それから、1ヶ月後、次男嫁から施設長、主治医に対して母のカルテの
情報開示をするように配達記録で文書が届いている。

文書の差出人が次男ではなく次男嫁からなので、施設長もどうしたものかと
悩んでいて、私になんとかしてほしいようだったが、私宛の文書がないので、
私も何の対処もできずに困惑した。

情報開示には施設長は身上後見人の許可が必要と返事したようだった。
それからしばらく何も次男嫁から連絡がなかったので、そのままになっていた。

ほどなく7回目の調停があったが、次男からこの件について私に何の話もなく、
私も何も言わなかった。
この日に家庭裁判所から提出要請のあった「身上後見人についての回答書」を
提出したが、その中にも次男嫁の不可解な行動について報告している。

それからまた再度、施設に次男嫁から手紙が届いたらしいが、
それは見せてもらっていない。私はただ謝るだけだった。

母が入居しているのにこんなことが続くのは本当に迷惑だと思った。

まるで、病気のように次男嫁は1ヶ月おきに、施設に何らかの行動をしている。

1ヶ月後、8回目の調停があり、この時も次男から次男嫁のことを
聞くことはなかった。

なぜ、夫婦でありながら、妻は義理とは言え、母親の入居している施設に嫌がらせをし、
夫は何も知らないかのように、裁判所で父親の財産ばかりを気にしている。

本当にこの次男は、自分の妻の奇行を知らないのかもしれないと思った。

つづく
次男嫁の奇行に拍車
2012-06-19-Tue  CATEGORY: 介護と兄弟関係
母の施設での生活が続くなか、先月よりずっと血圧が不安定で、
投与の降圧剤も増やしていたが、高いことが増えてきたため、
主治医に面談するように言われて、いつもより早めに施設に入った。

母は、どうやら面会人があったあとは気分が落ち込むことも多く
なっているようなので、当面の処置として、
身上後見人の介助のみにしてはどうかと助言された。

母の面会人、それは、介助で毎日交替で通っている私と三男嫁、
長男嫁以外には、週に一度、偵察にくる次男の嫁しかいない。

主治医も、母の世話をしているスタッフに直接話をきいて
そう判断しているようだった。

その主治医の診断をもとに、施設長がずっと面会が増えていた
次男嫁に電話を入れて、母の健康上のことを考えてしばらく
面会をひかえてほしいと伝えてくれた。

次男嫁は、このことが納得いかなかったようで、
これ以降、区役所や介護施設に係わる苦情受付けの場所などに
施設長に対する苦情を述べに行くなどしたようだ。

数日後に施設を訪ねたら、ちょうど施設長に面会を済ませて帰るところの
次男嫁に施設玄関で出会い、私をずっと避けて電話にも出ない次男嫁だったので
「母のことで話しがあるなら私が聞くから、私と話をしようよ」と言ったが、
「いや、もう済んでいるから。これは私の問題やから。」と言って
そそくさと逃げるように帰っていってしまった。

翌日、施設長は「このようなケースは初めてでどう対処してよいかわからず、
財産後見人の弁護士に電話を入れて相談した」と言ったが、
その弁護士は財産に関わることではないので返答できないと言われたらしい。

最初にこの次男嫁が少し変わっていると施設長に話したときには
施設長は「財産のおありになるところは大変ねぇ~。仲良くなさってくださ~い」と
まるで私の話が大げさなようにとらえていたが、今回、この次男嫁の奇行を
目の当たりにして、ようやく私の今までの苦労がわかったようだった。

このあともこの次男嫁の施設長や主治医に対しての嫌がらせはずっと続くこととなる。

つづく
親には甘えたもの勝ちの法律
2012-06-18-Mon  CATEGORY: 遺産相続争い
父が亡くなって相続争いが始まり、6回目の調停が行なわれている。

争点は三男が最後に少し面倒を見ていたときに、ごっそりと
父から預かっていた預金のうち、5千万円の定期預金を
生前贈与していることが一番だった。

私も生前に預金証書を「次男が盗むからあずかってくれ」と言われて
しばらく我が家の金庫に入れていたが、私が脳梗塞で倒れたことで
父は私に返させて、三男にそれを預けていたようだ。

最後に父が意識不明の間に、三男が預金を引き出して自分の名義にし、
税務署で勤めているだけあって、すぐに生前贈与の申告をしていた。

また、私が母名義の預金を父に言われて介護用にと、自分の預金に移したことが、
長男と次男は、私が盗んだと訴えていた。だが、私はそれをすべて
表にして記録していたことで、盗んだのではなく、介護用の費用でもなく、
単に生前贈与しているから、今回の父の相続分から、引くべきだと主張してきた。

なぜ、父の相続で母の預金が問題視されるのか、わからなかったが、
母の財産後見人である弁護士が、それは父の預金も同然と主張してきた。

この財産後見人は、母の財産を守るはずなのに、なぜ
母の物と認めないのか意味不明だった。

また、母から私が住宅ローンをして返済中である記録から、それも
今回の父の相続から引くべきと言われ、私の弁護士があまりにふがいなく
「すべて記録に残しているあなたが不利だ」と言っている。

いったい、この国の法律はどうなっているのか?
長男も次男も、生前、父から散々金をむしり取り、
好き勝手して、次男に至っては、現在事務所、駐車場並びに
自宅として居住している父名義の場所の家賃が
ずっと未納であるにもかかわらず、それは父の好意だからと
主張している。

長男は母のすべての預金が父のものであるからそれも
すべて父の相続の中に含めるよう要求していた。

ずっと父の言いなりになって家事と子育てをしながら仕事も
手伝っていたのに預金も認められないのかと、
あまりに女性蔑視な長男に呆れていた。

しかも介護に関してはすべて嫁まかせでなにもしない
長男と嫁には偵察にはこさせるが、一切見舞いもしない次男が
ひたすら、父の財産を自分たちだけがもらえる権利があると
言ってのけることが不思議で、またそれがまかりとおる調停に
呆れるしかなかった。

結局、女は財産をもつべきではなく、また、介護は女の役割だと
調停員も、「それが母の喜びだったのだろう」と言うありさま…。

もうすべてのことが、バカらしく思えてきた。

こんな調停がまだまだ続きそうであった。

つづく
母の気力の源
2012-06-17-Sun  CATEGORY: 介護と兄弟関係
あいかわらず母は、ドロドロしたペースト食で、しかも
完食までに1時間かかり、水分を口から摂取しても
むせることが多くなっている。
嚥下能力が低下してきているようだった。
もう、キザミ食にもどったり、左手であんパンをもって
ぱくついていた母には戻れそうもなかった。

だが、体力の低下とは別に、生きる気力はまだまだあり、
大好きなテレビでの相撲鑑賞もかかさず出来て、
特に水戸黄門があるときは私が午後8時から一緒に
食堂のテレビを独占で見させてもらえて、
母もそれをとても楽しみにしていた。

2人でゆっくりテレビをみたり、天気のいい日に
近くの公園に散歩に行ったりするのが、
母の数少ない楽しみだったようだ。

特に三男がくると泣いて喜んでいた。どんなに私や三男嫁が
介護していても、男の存在は母には別のようで、息子がきたということだけで
テンションが上がっていた。

このことは、ずっと介護しつづけている私にはきついものがあったが…。

父がなくなって、1年半以上が経過し、冬も終わってようやく
母が倒れてから3年が過ぎた春を迎えていた。

その頃、以前に入院中に見舞ってくれた私のアメリカ人の友人も
その春に再来日していて、この施設に母の面会にきてくれている。

スタッフが「外国人のお友達がいてすごいね!?」と母に大きな声で話すと
そう言われてその時の母の得意気な顔は今も忘れられない。

特養ではリハビリなどはないので、良くなることはなくても
せめて現状を維持してほしいと願っていた。

それには、こんなメンタルな配慮が母には必要だった。

つづく
施設を恐喝する次男嫁
2012-06-16-Sat  CATEGORY: 介護と兄弟関係
母が、トイレで便器から落ちてケガをし、顔にあざが残っている時に、
どうやらまた次男嫁が面会にきていたらしい。

このころ、次男嫁は週に2~3回と面会回数を増やしていて
どれもやはり私たちとは会わない時間帯であった。

私も昼に行くことも再々あったが残念ながら次男嫁とは遭遇していない。

スタッフの話だと、母が部屋のベッドで昼寝していたらスタッフに
「もう弱ってきてる?」と聞いたり、車いすに座っていて次男嫁が
なにやら耳打ちで話したら急に母が声を荒げて、
耳元を動く左手ではらって嫌がったらしく、ちょっと心配になった。

スタッフからも他の介助に通ってくれている三男嫁、長男嫁とは
かなり様子が違うので、いったいあの人はどんな人か、
介助するわけでもなく、ただやってくる次男嫁の面会目的を尋ねられたが、
私にもわからないと答えた。

ただ、元気なときから母とは不仲であることは伝え、
少し様子をみてもらうようにスタッフには頼んでおいた。

遺産相続の調停が始まったころから、面会回数が増えているのだから、
まちがいなく、母の様子を見るために偵察にきているのだろう。

ずっと後に、この次男嫁が理事長自宅と主治医あてに長い手紙を書いているが、
その手紙の中にこの時の母の顔のケガことがあり、施設に責任問題を訴えたらしく、
まるで、この次男嫁は、私には恐喝している、ヤカラのように思えた。

この施設に入所したときに施設長に、このちょっと変わった嫁には注意するほうが
いいと話したら、「相続でもめているから、そんなことおっしゃるんでしょ?
仲良くしてくださいな~」とサラリと交わされたしまった。

この後から、次々と施設長や施設内の主治医宛にどんどん嫌がらせをする人とは
そのときには思ってもいなかったのだろう。

どんな状況でも、私の忠告をあの時に気にかけていたら、施設ももっと
うまく対処できたはずである。

つづく
母の施設での負傷騒ぎ
2012-06-15-Fri  CATEGORY: 介護と兄弟関係
年が明けて正月休み明け、私は在宅でパソコンの入力をする仕事を見つけて、
出来高制の給料で少ないが合間に出来る仕事なので引き受けた。

自宅で必死で入力の仕事をしている最中に母の施設から電話があり、
母がトイレに座っていてスタッフがちょっと離れたすきに、
前のめりの傾いて落ちてしまい、顔面を手すりで打って
大量に出血してしまう事故があったとのことだった。

もう出血も止まり、顔にあざが出来たが検査してどこも
骨折などしていないと聞き、この時点ですでにかなり時間が経っている
ことに気づいた。

だが、気になったので、内職の仕事を中断して、すぐに施設へ行った。
母を見たら、確かに顔がやや腫れて痛そうではあったが、
「ボクシングで負けたん?」と冗談で母に言うと、
母が声をあげて笑ったので一安心した。

スタッフの人たちが平謝りしてくれたので、
私は「大事に至っていないし、今まではちゃんと座れていたのだから、
予測できないことだったし、すぐに連絡をくれたので、もういいですよ」と
スタッフの人たちに声をかけた。

今後は座って足が地面に付く座面の低いポータブルトイレで、
必ずスタッフ2人で移動させると伝えてくれた。

母のつかまり立ちの筋力も低下してきているので、トイレへの移動も
以前ほど楽ではなくなっていたのである。私は「お世話かけます」と感謝した。

この日は私が夕食介助の担当ではなかったので、その日は帰り、
担当だった長男嫁に母の怪我のことやスタッフのことも電話で伝えておいた。

子供と一緒で、幼稚園や学校でケガをすることもあるだろう。
ましてや、話せない、動けない老人を介助する上で、ケガや事故も
まったくないとは言い切れないから、施設に入っているかぎり
そんなことも覚悟はしなくてはいけないと思った。

もちろん、このことも、母が倒れてずっとつけている介護日誌には
記入している。

つづく
お向かいの猫の死
2012-06-14-Thu  CATEGORY: 母子生活
私の毎日は、母の介護と「身上後見人」としての仕事、
財産後見人との連絡、自分の仕事探し、娘との連絡、
結局、自分の為だけの時間など、まったくないでいた。

そんなある日、朝早くから、少し仲良くなったお向かいの奥さんである
Mさんから、電話があった。

「猫が机から降りたら倒れて息をしていない…。
病院に連れて行くから、車で同行してほしい…。」とのことだった。

私は大慌てで支度をして、すぐに廊下に出て
Mさんがドアから出てくるのを待って、急いで
動物病院まで、行った。

だが、その時にはすでにその猫ちゃんは亡くなっており、
やるせなくなった。
Mさんは気丈に振る舞っているが、かなりショックのようだった。

私も何もしてあげられないので、父の仏壇に飾っている線香を
貸してあげて、励ましの言葉をかけるだけだった。

このことがきっかけで、Mさんとはさらに一緒に食事をしたり
電話で話したりすることが多くなり、
今の私の介護と遺産相続争いのことなどの愚痴を
聞いてもらっていた。

つづく
兄嫁は、変人ばかり…
2012-06-13-Wed  CATEGORY: 介護と兄弟関係
身上後見人でもあり、家族でもある、私を筆頭に三男嫁と長男嫁との
3人で曜日を決めて、私が週3~4日を担当して、夕方から、
身体の状態をチェックしながら夕食介助などを、
今までと同じように続けていた。

もちろん、毎日していた時に比べたらかなり負担が減ってはいたが、
保育園に通う子供の如く、体調不良のとき、検診のとき、行事参加のときなど、
何かあるたびに午前中、午後、時間に限らず施設に呼び出されていたので、
なかなか自分の働くパターンがつかめないでいた。

また、次男申し立てによる、父の遺産相続の調停が父が亡くなって1年後から、
本格的にスタートし、1ヶ月に一度とり行われ、それにも出席していた。

また、私自身の病気(もやもや病)の年1回の検査入院で
1泊2日、入院もしている。
入院のときは自分の担当の介助の日は三男嫁に替わってもらっていた。

この時の入院時に、長男嫁が見舞いにきてくれていて、
見舞いにきたのに、私に愚痴る長男嫁がいた。
病室のベッドに寝ている私に「長男の仕事が暇で私がフルに働かなければ
生活が苦しいし、息子にもお金を借りる始末だし、
長男は家事も全然手伝ってくれないので大変なんよ」と泣いて話すので、
母のことはあまり気にしなくても、私と三男嫁さんががんばるからと言って慰めた。

見舞いのときにこんな話をするのはよほど困っているのだろうと同情したので、
私はこれ以降、なお一層、緊急時も長男嫁は頼らず三男嫁にお願いすることが多くなる。

どこまで、私はお人好しなんだろう…。

また、調停が始まってから、今まで定期的に見舞いに来なかった次男嫁が
母のいる特養の施設に母に面会目的で月に一度来ているようだ。

ただ、介助している私たちとは違う時間に来ているので会うことがなく、
話などはできないでいた。

母を人間ではないとばかりに裁判所に訴え、でも結局自分は、
成年後見人になり損ねて、今度は母の見舞いといいながら何をするのか
気味が悪かった。

ひと目やまわりの状況も関係なく、好き勝手に振る舞うこの次男嫁は
まるでサイコな人だった。

つづく
バカ正直が損をする
2012-06-12-Tue  CATEGORY: 遺産相続争い
数日後に財産後見人の担当事務員から電話があり、書類すべてを確認して、
1点、車いすを購入した領収書がないとのことだった。

車いすはインターネットで購入したので、領収書がなく、
結局、後日にその買い上げ明細書を購入先から送ってもらい、
その車いすを使用中の母の写真を添えて送った。

インターネットでの買い物ができることは、介護用品の購入にとても役立った。
この車いすもそうであるが、格安で希望通りの商品を見つけることができた。
たとえば前開きの薄手の綿セーターなどは、どの店にも売っておらず、
右マヒなので、なるべく前開きのもので、よだれや食べこぼしが多いので
洗濯しやすく、安いものを洗い替え用に数枚購入したいのだが、
介護用品専門の店では、価格が高く、生地も分厚く洗うのも大変で、
なかなか買えるものがなく、インターネットで希望の素材、形のものが
1枚1000円以下で売っているのを見つけることができている。

その後も、小さくカットされた不織布ガーゼや、パウダーなしの使い捨てゴム手袋など、
領収書をとりよせるのがやや邪魔くさいが、自宅で気軽に注文できるのも助かった。
その旨も財産後見人に伝え、今後もネット購入することも了承を得た。

区役所での障害者に関する書類や介護保険についてのいろいろな手続きなど、
今までしてきた私からの連絡をもとに、その時々で財産後見人にしてもらうことも多く、
これ以降、Eメールや電話で月に何度も福原弁護士のところの事務員と
連絡をとることになった。

本当にこうやって母が倒れてから、私がやっていきた事務処理の仕事を
給料に置き換えたら、いったいいくら稼げているのか?と、他人が後見人に
入ることで、とても皮肉に思えた。

つづく
成年後見人決定通知書
2012-06-11-Mon  CATEGORY: 遺産相続争い
家庭裁判所より、成年後見人決定の通知がきた。

その書類の中には「財産後見人」はF弁護士となっていた。
まったく関係のない弁護士を裁判所が選任したようだった。

母の身の回りについての「身上後見人」は、交代で介護している
私、三男嫁、長男嫁の連名で決定されていた。

そもそもこの「成年後見人の申し立て」を起こした、財産狙いの次男の
名前はどこにもなく、ちょっとホッとしたが、
何人も子供がいても、こうやって他人に財産管理をしてもらうことが
おかしいと違和感があった。

それから約1ヶ月後、電話でF弁護士から、事務所にくるように指示があり、
約束の日に、わざわざ私が電車でその弁護士事務所を訪問している。
その交通費は自腹である…。

午後1時に着。母に関わるすべての書類、領収書、請求書など
ファイリングしていたものを持参した。
きちんとファイルされているのを確認して、F弁護士も
「ここまできちんとファイルしてくれていたら助かります。」と言った。

出金したお金の内、私は律儀にも、母の口座から私の口座に移し、
生前贈与として申告済みの金額についての明細書と、
母が倒れる前に母から借りた住宅ローンの返済状況
(借用書、既に毎月振込で返済の明細、これからの返済計画など)も
渡している。後からこのことを自分の弁護士に話すと、
それが逆に不利になると教えられて、どうも納得いかなかった覚えがある。

きちっと明細を残すと、それを証拠として追求され、兄たちのように
何かある度に親に金をせびっていたことは、書類にないので、
おとがめがないことが悔しかった。
現に、次男が父親名義の土地、建物に事務所兼住居としてしているものに
まったく家賃未納されているが、それはあまり取りざたされないことが
さっぱり意味がわからなかった。

今後、この財産後見人との連絡は、事務員の女性とするとのことで、
結局、弁護士の名前だけで、「財産後見人」も普通に事務職員の仕事のひとつの
ようだった。

この担当事務員も、実際には、母が亡くなるまでに、2回(合計3名)変わっている。

今後は母に必要な小口の費用は、後で振り込まれる預かり金で支払い、
1ヶ月ごとに報告書を作成、領収書などは郵送するようにと指示された。

結局、私の手間は増えても減ることはないのかと思った。

私への事務処理の給料はでない、身上後見人は要するにボランティア扱いだった。

つづく
相続争いへの準備・退職
2012-06-10-Sun  CATEGORY: 遺産相続争い
母が退院して、1ヶ月が過ぎようとしていたころ、
以前に届いた意味不明な次男が申し立てた「成年後見人申立書」とは別に、
さらに「遺産相続申立書」が家庭裁判所から届いた。

いよいよ、次男は父の残した財産を根こそぎ自分のものにしようと
しているようだった。
この前、入院中の母を次男嫁が見舞いにきたのもきっと
母の様子を見に来たものだったのだろう。

申立書には、母はすでに認知症で何の判断能力もない!と明記されていた。
それを読んで、私は腹立たしかった。
欲に駆られて、実の母親の現状も見判断できない情けない兄だと思った。

私はもうどうすればよいかわからず翌日、友人の紹介で弁護士に
この2件のことを依頼した。

成年後見人については、私が以前、調査官との面談後に三男が同じく面談を
しており、身上後見人は複数でもよいと聞いていたので、
三男と相談の結果、その時点、交替で食事介助している、私と三男嫁、
長男嫁の3人で申し立てをすることにし、急いで書類を作成して
月末に家庭裁判所に送付している。

遺産相続については弁護士と相談した上で、
翌月中旬に弁護士同席で再度調査官と面接している。

このように、母の入院、付添、退院、施設での介助、
以前の病院への段取りの手配、弁護士との面談、家庭裁判所での面接など、
平日にかなりの負担があり、私の体調もおもわしくなく、
休みの多い勤務態度により、保険会社からも所属部の異動、残業依頼などがあり、
結局、退職をせざるを得なかった。
たった4ヶ月の正社員生活だった。

その後も求職活動はしていたが、こんな状態の中で就職できるわけもなかった。

つづく
母の現状維持に必死になる私
2012-06-09-Sat  CATEGORY: 介護と兄弟関係
母は風邪だけで1ヶ月も寝たきり入院をさせられ、
やっと退院してからは、施設での食事もペースト食のままで、
主食はずっとパンがゆであった。

一度低下した嚥下力はもう戻りそうになかった。
「がんばれ」と何回も声をかけながら完食するまでに1時間もかかった。

腹圧も1ヶ月の寝たきり状態のためにすっかりなくなり、
摘便なしでの排便は難しかった。摘便はスタッフや兄嫁はできないので、
結局、私が行ったときにいつも行っていた。

だが、母の意識は自宅介護をしていたときと変わらず、
テレビの吉本新喜劇、水戸黄門、料理番組、相撲が大好きで、
笑顔で鑑賞し、私たち家族の顔を見ればいつも左手をあげて
うれしそうに挨拶をしてくれている。

こちらの話しかけにはじっと耳をかたむけて、
ときどきうなずいて返事をしてくれていた。

そんな母をみて、決して認知症などにはなっておらず、
ただ、話せない、動けない、食事や排泄がうまくできない、
それだけの、まだまだ人間であると確信していた。

施設のスタッフも私を筆頭に三男嫁、長男嫁で交代で介助にくるので
しっかりと母のことを気に掛けてくれていた。

また、再度風邪などで入院のときは、今までの病院に行けるように
母を以前の病院の内科外来に連れて行き、担当医に会った。

以前と変わらず、とても母と私のことを気遣ってくれて優しい先生だ。
この前入院した若い主治医とは比べものにならなかった。

この以前の担当医に今後は何かあったらこちらで入院したい旨を
お願いしている。
母はこの時、久しぶりにその先生に会ってとても嬉しそうだった。


つづく
やっと退院して施設に戻る
2012-06-08-Fri  CATEGORY: 病院
私の介護が毎日でなくなり、三男嫁の担当に日だった年末のある日、
病室においてある私のずっとつけている介護ノートに、見慣れない筆跡が
あった。どうやら、次男嫁が見舞いに来たようだ。

次男嫁や次男から私には何の連絡もない。何をしにきたのか、
すごく不安だった。

私と三男嫁とで交替で付添いながらも、年末年始も退院できず、
年明けにようやく、施設の主治医(どうやらこの多根病院の副院長らしい)から
担当医に指示があり、退院させるとのこと。

年が明けて、ようやく退院することになった。
約1ヶ月強、ほとんど寝たきり状態の入院だった。

退院後に、施設には「今後、入院のときは前の病院に入院させます」と願い、
了承を得た。もうあんな、酷い病院は嫌だ。

退院当日は、長男嫁もきていた。あいかわらずパートの仕事が忙しいと
申し訳なさそうに弁明していた。
こうなったら、長男もクソも関係ない…と、ふと三男嫁と比べて
思っている自分がいた。

午前中に私は入院費などの精算もすませ、午後2時、
母は施設の迎えの車で病院を出た。

私、三男嫁、長男嫁もその車を追った。
施設に着いて部屋にもどり、荷物の整理をして、
スタッフに食事の様子などを説明して、一段落したところで、

三男嫁が、これからはこの施設にも夕食の介助に来ると言ってくれ、
それをきいた長男嫁も驚いたように「パートの仕事があるので土曜日だけ私もきます」と
言った。

翌日からは3人交替でこの施設に通うことになった。

お互い何かあれば携帯メールで連絡をとりあって、
必ず誰かが介助にくることになった。

とにかく、私は毎日通っていた施設が、2~3日に1度で済むので
仕事をしながら介護するのには、とても助かった。

つづく
外人のほうが愛情がある…
2012-06-07-Thu  CATEGORY: 病院
次の週、古くからの友人のアメリカ人が来日していて
私は仕事も1週間休み、その友人は私の家に滞在中だった。

そのアメリカ人と和歌山やその他に行くスケジュールを
ずいぶん前から入れていたので、三男嫁に病院での食事介助を依頼した。

私は2日間、まったく病院に行かず母の顔を見なかった。
母が倒れて依頼、私が倒れて別の病院に入院した以外は
ずっと毎日、母に会いに行っていたので、少し変な気持ちだった。

でもそんな私に三男嫁は随時、食事の様子などを携帯メールで
教えてくれてとても助かった。

母はこのアメリカ人とは元気だったときに一度面識があり、
滞在中に一度見舞いに行き、目の前に白人女性が現れ、
すぐに以前に会った私の友人とわかり、
見るなり泣いて感動していた。

友人は英語で話かけ(もちろん母は英語を理解しないが)
こんな時には何をいっているかは想像がつくのであろう、
何回もうなずいていた。

頬にキスをされて恥ずかしそうに笑った。
母はそれから、がんばって出された食事はほとんど食べ、
生きる気力をとりもどしたようだった。

はるばる遠くから来た人に励まされて少し気力が戻ったようだった。

三男嫁も食事介助の大変さを2日間手伝ったことで理解してくれて、
「今までは、施設に入ったら大丈夫と思っていた。でもそうじゃないから
これからは、一人は大変だから、交替でしましょう」と言ってくれた。

多根病院は三男の自宅のすぐ近くなので、遠慮なく甘えることにした。

毎日毎日、休みなく母を介護してきた私には、本当に有り難かった。
この時点で、母が倒れてすでに1年半も過ぎていたのが皮肉に思えたが…。

つづく
主治医もひどい!
2012-06-06-Wed  CATEGORY: 病院
週が明けて入院してから4日後、仕事が済んで夕方に病院に行き
ようやく担当医(若い男性の医師)と初面会した。

嚥下のテスト次第では鼻からチューブで栄養を入れると言われた。

だがそれも長くは続けられないので、胃ろう(胃に穴をあけて腹部から管を通し、
腹部から直接栄養剤を注入する方法、通称ペグ)をしてはどうかと言われた。

私は、母は確かに少しずつ嚥下が下手になり、普通食からきざみ食に落ちてはきていたが、
まだ口から接種できるはずと、反対した。

この担当医は延命措置をどうするかばかりを尋ね、症状を説明する際も
パソコンの画面を見ながら話してこちらの目をみようともしない。

信用できない医者だと思った。この日はがっかりして帰宅した。

それから3日後、仕事中にこの医者から私の携帯に直接電話があった。
「おっしゃるとおり、テストしたら、口からまだ接種できそうなので、
ペースト食(ドロドロにした流動食)を食べさせてしばらく様子をみます」
とのことだった。

それを聞いて少しホッとした。 この病院に母は生殺しにされるようで
ずっと不安だったからだ。

つづく
対応がひどい病院
2012-06-05-Tue  CATEGORY: 病院
翌日、土曜日で私は仕事が休みなので、午前10時に病院に行った。

母の熱は下がっていて血圧も正常。
しかし、口のまわりに飲み薬がついていた。
看護師が飲ませたのだろうが、口も拭いてもらえてないのか。

ビニール製のマットが敷かれていて寝心地が悪そうだったので
クッションを右下に引いた。

午後1時半、三男がきたので、私は昨日看護師に指示されたように
車いすをコスモス苑に戻しに行き、そのついでに入れ歯やパジャマを
持って病院に戻った。

午後2時40分、三男は帰る。オムツ内をチェックしたら、便があり、
看護師を呼んだら、使い捨てのおしりふきでは清拭しないで、
オムツの汚れていない部分で軽く拭いだだけで終わってしまった。
どうやらここにはお尻ふきはないようだ。

翌日、私はお尻ふき用ウェットティッシュ、摘便用の手袋などを持参した。

どうやら、この病院は特養を持っているので老人の入院は多いらしく、
いちいち細かい配慮をするような看護師がいないのが残念だ。

つづく
施設の系列の病院に入院
2012-06-04-Mon  CATEGORY: 病院
家庭裁判所へ行った翌日、師走の月に入っていた。

私は障害者雇用枠で難波にある保険会社に事務職で採用されて、
初出勤の日だった。
久しぶりに朝のラッシュの地下鉄に乗り、
人混みのなかを会社まで歩くだけで、クラクラめまいがした。

でも、正社員で雇ってもらえたのだから、がんばろうと思った。

そんな矢先、夕方施設へ行くと、私の顔を見てすぐに、スタッフが
母が昨夜から発熱で、朝と昼、どちらも食事をしていないと話した。

部屋へ行くと氷枕で寝ている。検温したら37.8度。
内科の主治医は風邪だろうが、栄養がとれないので入院したほうがいいとのこと。

この施設の系列の病院は、今まで母が入院していたところとは違い
父が入院した病院だった。
何も言わなければすべて、この病院に搬送される。
風邪ぐらいだから、それでもよいかと思い、そこに入院を同意した。

午後6時半に病院着、車いすに座ったまま長時間待たされた。
やっとレントゲンなど検査をすませ、点滴をしながら病室へ移ったのは
午後8時をまわっていた。

病室は今までの病院に比べて狭く、車いすを置く場所もない。
自分の車いすはジャマなので持って帰るように看護師に言われた。

看護師も不親切で、不安に思ったが、しょうがない。

近くに住んでいる三男夫婦も連絡したら駆けつけた。

午後8時半に検温。微熱はあるが、血圧は正常値なので
午後9時前に、看護師に失語症のことを伝えて
三男夫婦とともに帰宅した。

つづく
相続争いのはじまり
2012-06-03-Sun  CATEGORY: 遺産相続争い
入所して4ヶ月が過ぎたころ、裁判所から申し立ての書類が届いた。

内容は、次男が「自分が母の成年後見人にもっともふさわしい」というものだった。

今まで、母を見舞ったこともなく、介護をしたこともない次男が、
なぜ成年後見人にふさわしいのか、意味不明だった。

そのことは家庭裁判所に電話をして1週間後に調査官と面接することに
なったが、正直、迷惑と思った。
なぜなら、母が多根眼科病院に1泊2日で入院して白内障手術を受けることに
なっていて、その付添をしなければならなかったこと、
すでに12月から就職の採用が決まっていてやっと再就職してフルタイムで
働く矢先であり色々と準備しなければならない時期だったからだ。

とりあえず、都合をつけて、母に関する書類を持って家庭裁判所を訪問、
調査官と今まで母をずっと介護してきたことなどを話し、
どう考えても母の病状の何もわかっていない人が成年後見人になることは
おかしいと延べた。

調査官は、私の介護の話しは聞き流すのみで、母名義の預金のことのみを
細かくメモしていた。
その時に調査官は、後見人も財産と身上と分けることができると言い、
「そんなに母親の介護が心配ならば、財産は相続人のしがらみがあるので
第三者になるが、身上は申し立てをして自分がなればいい。それをしますか?」
と聞かれた。

しかし裁判所で決められる責任ある立場をいつ病気を再発するかわからない私が
はたしてするべきか迷い、後日返事をすると言って帰ってきた。

その後、急いで施設へいつものように食事介助に行き、
母にこの心ない調査官のことを愚痴ってしまった。

つづく
介護以外の自分の生活
2012-06-02-Sat  CATEGORY: 母子生活
娘も大学生活がようやく慣れてきたころ、大学でのクラブに明け暮れていて
朝早く家をでて、夜遅くにしか帰ってこない娘だった。

私は、母の施設へ通うこと以外に、この娘の身の回りの世話に
いらいらしていた。

しばらく下の階に部屋を借りて別々に暮らしていたこともあり、
同じ部屋で居ることもちょっと苦痛に思えてきた。
もうかわいい子供ではなく、大人になったはずが
だらしなく生活する娘を見たくない気持ちが強くなり
大学の近くに部屋を借りてそこに住まわせることにした。

私もいつ病気が再発してどうなるやらわからないので
娘には早く独り立ちしてほしかった。

その頃、マンションでは外壁の塗装工事があり、マンションをカバーで
覆われていて、ちょっと閉鎖的な雰囲気のある暮らしになっていた。

そんなときに、管理人が私の部屋のまわりをウロウロとし始め
どうやら私が一人暮らしになったことをいいことに、
ストーカーのようになったので、管理組合に話して管理人を
替えてもらう騒動にまでなっていた。

その件が落着したころに、今度は隣の部屋の独居老人の女性が
認知症にかかったらしく、廊下を下着で歩き回ったり
私の部屋に夜遅くにピンポンとドアホンを鳴らして開けるといきなり
「わかってるんやで!うちの旦那がそこにおるんやろ?!」と怒鳴っていた。
どうやら私を亡くなった旦那さんの愛人と思い込んでいるようだった。
一度、警察官が夜中に私の家に来て「隣から苦情がありまして…」と
言われたときには驚いた。
でも警察官に認知症のことを話し、逆に相談にのってくれたこともある。

そのことで、向かいに夫婦で住んでいる私よりちょっと年下の奥さんと
よく相談をするようになり、今までは会ったときに挨拶程度だった人が
少し近所つきあいをできるぐらいになったことが救いだった。

そう言えば、母を自宅介護しているときに、母を車いすで散歩した帰りに
向かいのドアが少しだけ開いていて、そこから可愛い猫がこちらをのぞいているのを
母と「あ、猫ちゃんや~♪ ほら、見える?」と話したことが何度かあった。
お向かいさんは、そんな私たちの様子を覚えていたらしい。

ストーカーの管理人、愛人呼ばわりする認知症女性、ダブルでショックを
受けていた私に、ちょっと楽しいご近所さんができたことが救いだった。

いずれこのお向かいさんとはもっと交流を深め、今では仲の良い友人になっている。

つづく
母の特養での生活
2012-06-01-Fri  CATEGORY: 介護と兄弟関係
母が特養施設に入ってからは、着替えや必要な薬、
雑貨品(櫛、爪切り、顔そり用のカミソリ、コップ、歯ブラシ、洗面器他)
消耗品(ティッシュ、ガーゼ他)嗜好品(ジュース、あんパン、おかき他)など
私が購入、随時補充持参している。

風呂や散髪なども母の好みをスタッフに伝えている。
散歩、好きなテレビ鑑賞(相撲、歌番組、水戸黄門など)も
家族が介助することで回数が増えて楽しめている。

一度、スタッフが3時過ぎにお風呂に連れて行こうと
テレビを見ている母を黙って動かしたら叫んで拒否されたらしく、
その後に来た私の顔を見るなり、スタッフが私に話しかけた。
「お母さん、今日はお風呂を嫌がりはるんです…」
私は「たぶん今日は相撲の日だからそのままテレビの前に
居たかったのだろうと思いますが…」と答えたことがある。

それからはスタッフもいくら話せず返事ができなくても
母に声をかけてから介助するようにしてくれている。

スタッフがいつも水分補給にとお茶を母に持たせて飲ませていたが、
車いすに座っていても右側に傾くのでお茶もこぼれそうになっているし、
左手しか使えないのにカップを持つことで自由に動けず、
カップでカユい鼻を掻いているのを見て、私はすぐに自分でネットで
車いす用のクッションとカップホルダーを注文。
届き次第すぐに持参して取り付けた。

母が話せないので代わりにスタッフとよく相談をして
介護方法を随時決めていった。

定期的に内科、歯科、眼科検診も受け、排泄リズムについては、
やはり摘便が必要となり、施設1Fに常駐の看護師では手が足りずに間に合わず、
ヘルパー級介護スタッフの摘便行為は禁止のため、
結局、私が夕食介助前や食後に、トイレ誘導で出ていない日など、
行うようになった。

摘便に関しては、自宅介護の時もすでに私ができるようになっていたので、
これも介助日課のひとつになっていた。

摘便や車いす移動などを頻繁にすることで、母は床ずれもオムツかぶれもなく、
快適に過ごしていた。

施設に入ったらもう家族は何もしなくてよいということは一切ない。
また家族が一生懸命な人にはスタッフもそれに答えて細かい配慮をしてくれていた。

失語症の母にはそれがとても大切だった。

つづく
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