母がペグでの食事になったが、しばらくは安定した日々が
続いていた。
大学生だった娘は、就職の内定も決まっていて、
好きなダンス留学で夏の1ヶ月間をアメリカで過ごした。
その間に私も、もやもや病の定期検査と
残っている動脈瘤の様子を見るために
カテーテル検査のために1泊2日で脳外科で入院している。
結果は、動脈瘤の大きさも変化なく、とりあえず
もやもや病の脳での血流も落ち着いているとのことだった。
秋になり、母は86歳になっている。
82歳で倒れて失語症と半身不随になった母は丸4年が過ぎ
5年目でペグにはなったものの、まだまだ生きる気力は見せていた。
10月になり、サイコな兄嫁(次男嫁)は、相変わらず施設に
母のカルテの情報開示を求めて、施設を運営している組織の
理事長宛に手紙を送ったりしているようだった。
私にはまるで、嫌がらせにしか思えなかった。
すでに父の遺産相続争いは終わっているのだが、
どうやら、この次男嫁は自分の意地で施設に
母の病気をネタにずっと恐喝しているようだった。
つづく
続いていた。
大学生だった娘は、就職の内定も決まっていて、
好きなダンス留学で夏の1ヶ月間をアメリカで過ごした。
その間に私も、もやもや病の定期検査と
残っている動脈瘤の様子を見るために
カテーテル検査のために1泊2日で脳外科で入院している。
結果は、動脈瘤の大きさも変化なく、とりあえず
もやもや病の脳での血流も落ち着いているとのことだった。
秋になり、母は86歳になっている。
82歳で倒れて失語症と半身不随になった母は丸4年が過ぎ
5年目でペグにはなったものの、まだまだ生きる気力は見せていた。
10月になり、サイコな兄嫁(次男嫁)は、相変わらず施設に
母のカルテの情報開示を求めて、施設を運営している組織の
理事長宛に手紙を送ったりしているようだった。
私にはまるで、嫌がらせにしか思えなかった。
すでに父の遺産相続争いは終わっているのだが、
どうやら、この次男嫁は自分の意地で施設に
母の病気をネタにずっと恐喝しているようだった。
つづく
スポンサーサイト
| ホーム |