バツイチ子持ちの私、母の介護、父との確執、不義理な兄たちとの遺産相続争い、成人する娘へのけじめ、唯一の癒しとなる愛猫のお話です。創作ではありません。
そこに愛はありますか?…突然の介護から…
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父の告別式
2012-05-29-Tue  CATEGORY: 介護と兄弟関係
翌日、午前9時半に施設へ行き、朝食を済ませた母に黒い服を着せて、
オムツなど長時間対策もとり、再び母を車に乗せて会場に向かった。

控え室に入ると母の亡き姉の娘2人も来てくれていて、
その2人の顔を見るなり声をだして泣き出してしまった。
母が病気になってから会ったのはこれが最初で感激していた。

午前11時、家族写真撮影、あいまにトイレへ連れて行き、
尿とりパッドを取り替えた。
午前11時半、持参していたあんパンと牛乳を母に昼食がわりに食べさせた。

午後12時、告別式開始。母を車いすで前列に座わらせて、私がそばについていた。
昨日の通夜と同じく母が失語症になったと知らない知人や近所の人たちが
次々と母に声をかけるが、母はうなずくだけだった。

私は通夜とは違って式の最中にしゃべることができないから、
母が車いすに座っていることで、その人たちもある程度は察してくれることを願った。

喪主は長男がつとめたが、葬儀全般を取り仕切ったのは三男で、
三男は国税局に勤めているから、大勢の税務署関係の人に、式の案内なども
手伝ってもらい、署内で何度もそういう経験をするらしく、手慣れた感じだった。
dが、弔電の朗読の際、何通も何通も「大阪国税局…○○課○○様…」が限りなく続き、
せっかくいただいてはいるが、母のことを思うと少し苛立ちを覚えた。

三男の世間や職場への対面を気にした葬儀で、とにかく派手な告別式であり、
私のように介護で世間から離れた人間にとってはとても苦痛に思えた。
父には立派な葬式で良かったということなのだろうが…。

午後1時半、告別式が終了し、斎場へマイクロバスで家族は出発だが、
母は車いすでこれ以上座り続けるには限界がきているので、
私だけが斎場へは行かずに、母を自分の車で、施設に連れて帰った。
自分の車の助手席に母を移動させているときに、
ずっと母の移動をしているときに兄たちは見向きもしないが、
父にお世話になったと言ってきてくれた近所の人が
あわてて駆け寄って来てくれて私の介助を手伝ってくれた。
本当に優しい人である。その時も「こんな人が兄だったらよかった…」と
思った私であった。

午後2時半、施設のスタッフに「今日は母の夕食の介助は来られないので
すみませんがよろしくお願いします」と母を頼んで、私はまた会場へ向かった。

一同は斎場での骨拾いまでの待ち時間に会場までまた戻っていて、
受付を手伝ってくれた税務署の人たちと一緒に食事をしていた。

その後、時間が来たので斎場へ行き、骨拾いを済ませて、
お骨とともにまた会場に戻って初七日法要も行い、
遺骨、遺影は四十九日法要まで私宅で祭ることになった。
母がスムーズに車いすで出入りできる家は私の家だけかったからで、
私は遺骨、遺影を持って、葬儀屋の人と一緒に帰宅した。

葬儀屋の人が私の部屋に祭壇をつくってくれてた。
葬儀屋が帰ったあとで、その遺影に向かってポツン座って
放心状態になっている私だった。

つづく
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