バツイチ子持ちの私、母の介護、父との確執、不義理な兄たちとの遺産相続争い、成人する娘へのけじめ、唯一の癒しとなる愛猫のお話です。創作ではありません。
そこに愛はありますか?…突然の介護から…
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娘の短期留学、就職内定、母の入院
2012-06-25-Mon  CATEGORY: 母子生活
娘が家に戻ってきて、ほどなく家の近所に就職先を絞って
活動して、すぐに内定がでた。

娘はずっと小さいときからダンスを習っていて
ダンス教室の講師を通じてアメリカにダンス留学に
スカラーシップで1ヶ月滞在することができ、
そんな準備でバタバタとしていた。

このころ、世間でノロウイルスが流行し、施設でも
その対処に四苦八苦しているようだったが、
母も感染してしまい、すぐに4人部屋の母は、
処置のため個室に移されて点滴を受けながら、
下痢と発熱と闘った。

スタッフも何人も感染していた。
本当に「キツイ」「汚い」「臭い」の3Kの揃った仕事=
介護ヘルパーと世間で言われるのがよくわかる。
しかし、そんなスタッフの協力のもと、ノロウイルス感染は
治り、その後順調に食欲ももどり、元気だった。

食欲が戻ったといっても、母の嚥下能力は低下していて、
食事中に何度も「がんばれ」を連発して
飲み込ませる方法は同じだった。

介助し続けている私や三男嫁、長男嫁とともに、
口から食べられなくなったらもう終わりのような気がして
必死で毎日のペースト状になっている夕食を完食させることに
必死だった。

つづく
調停の終わり
2012-06-24-Sun  CATEGORY: 母子生活
10回もの調停を重ねて、父が亡くなって1年半が過ぎ
ようやく、父の遺産相続に決着をつけた。
私にはどう考えても不本意な結果だったが、
介護をしながらなので、もう疲れてどうでもよくなっていた。

このころ、大学の近くでアパートを借りていた娘が
就職活動をする上でも一旦、自宅に戻りたいといい、
我が家に2年半ぶりに戻ってきた。

久しぶりに母子での生活に戻ったのだが、
別々に気ままに生活していた私には、この娘の
だらしない生活がイライラさせることとなる。

そんな時に、時々一緒に食事などにも出かけるようになっていた
向かいのYさんちの奥さん(Mさん)は、亡くなった猫のことが
忘れられずに、猫のブログをスタートさせていた。

私は、そんなことがきっと心を癒すのだろうと、
なんとなく思っていた。

調停が終わったこともあり、Mさんとは仲良くなり、
私も外食して、飲む機会も増えてきた毎日だった。

このMさんに、介護のこと、娘のこと、そして不義理な兄たちのこと、
驚くべきサイコな次男嫁の奇行のことなどを酒の肴に
よく飲んでストレスを解消していた。

つづく
やっと仕事が見つかった
2012-06-22-Fri  CATEGORY: 母子生活
お盆が過ぎ、施設内で夏祭りがあり、母と三男夫婦と私で参加し、
母はとても機嫌がよかった。
血圧も安定している。ひとときは、異常者次男嫁を忘れて
母とおだやかな夏の日を楽しんだ。

私は、自宅でパソコンに入力する内職の仕事を続けていたが
所詮、内職なので工賃は非常に安い。

ただの気休めのような仕事だった。
なので、意を決して再度ハローワークを訪れた。

すると自宅の2軒隣にある、大阪府の河川を管理する事務所で
事務非常勤職員の募集をハローワークで見つけ、応募することにした。

10人ほど応募者があったらしいが、近所で通勤もしやすいことが
功を奏して、採用された。

在宅のパソコン入力の仕事をすぐに辞めて翌月から早速勤めている。
通勤時間が1分という好条件で、時間も夕方までなので
仕事の後で施設にも今までどおり通うことができるので、
採用されてとても幸運だった。

9月は母の誕生日があり、施設の誕生会で85歳の誕生日をお祝いしてもらっている。
そのときも家族としてかけつけた。

また、翌月は施設から、堺市で行なわれている「国際学生相撲大会」の見学に
連れて行ってもらい、いつもテレビで見て楽しんでいる相撲を、
学生ではあるが、間近で見ることが出来て、母はとても楽しそうだった。

今思えば、これがどこかに行楽で出かけた最後となっている。
母が倒れてすでに3年、父が無くなって2年が過ぎていた。

つづく
お向かいの猫の死
2012-06-14-Thu  CATEGORY: 母子生活
私の毎日は、母の介護と「身上後見人」としての仕事、
財産後見人との連絡、自分の仕事探し、娘との連絡、
結局、自分の為だけの時間など、まったくないでいた。

そんなある日、朝早くから、少し仲良くなったお向かいの奥さんである
Mさんから、電話があった。

「猫が机から降りたら倒れて息をしていない…。
病院に連れて行くから、車で同行してほしい…。」とのことだった。

私は大慌てで支度をして、すぐに廊下に出て
Mさんがドアから出てくるのを待って、急いで
動物病院まで、行った。

だが、その時にはすでにその猫ちゃんは亡くなっており、
やるせなくなった。
Mさんは気丈に振る舞っているが、かなりショックのようだった。

私も何もしてあげられないので、父の仏壇に飾っている線香を
貸してあげて、励ましの言葉をかけるだけだった。

このことがきっかけで、Mさんとはさらに一緒に食事をしたり
電話で話したりすることが多くなり、
今の私の介護と遺産相続争いのことなどの愚痴を
聞いてもらっていた。

つづく
介護以外の自分の生活
2012-06-02-Sat  CATEGORY: 母子生活
娘も大学生活がようやく慣れてきたころ、大学でのクラブに明け暮れていて
朝早く家をでて、夜遅くにしか帰ってこない娘だった。

私は、母の施設へ通うこと以外に、この娘の身の回りの世話に
いらいらしていた。

しばらく下の階に部屋を借りて別々に暮らしていたこともあり、
同じ部屋で居ることもちょっと苦痛に思えてきた。
もうかわいい子供ではなく、大人になったはずが
だらしなく生活する娘を見たくない気持ちが強くなり
大学の近くに部屋を借りてそこに住まわせることにした。

私もいつ病気が再発してどうなるやらわからないので
娘には早く独り立ちしてほしかった。

その頃、マンションでは外壁の塗装工事があり、マンションをカバーで
覆われていて、ちょっと閉鎖的な雰囲気のある暮らしになっていた。

そんなときに、管理人が私の部屋のまわりをウロウロとし始め
どうやら私が一人暮らしになったことをいいことに、
ストーカーのようになったので、管理組合に話して管理人を
替えてもらう騒動にまでなっていた。

その件が落着したころに、今度は隣の部屋の独居老人の女性が
認知症にかかったらしく、廊下を下着で歩き回ったり
私の部屋に夜遅くにピンポンとドアホンを鳴らして開けるといきなり
「わかってるんやで!うちの旦那がそこにおるんやろ?!」と怒鳴っていた。
どうやら私を亡くなった旦那さんの愛人と思い込んでいるようだった。
一度、警察官が夜中に私の家に来て「隣から苦情がありまして…」と
言われたときには驚いた。
でも警察官に認知症のことを話し、逆に相談にのってくれたこともある。

そのことで、向かいに夫婦で住んでいる私よりちょっと年下の奥さんと
よく相談をするようになり、今までは会ったときに挨拶程度だった人が
少し近所つきあいをできるぐらいになったことが救いだった。

そう言えば、母を自宅介護しているときに、母を車いすで散歩した帰りに
向かいのドアが少しだけ開いていて、そこから可愛い猫がこちらをのぞいているのを
母と「あ、猫ちゃんや~♪ ほら、見える?」と話したことが何度かあった。
お向かいさんは、そんな私たちの様子を覚えていたらしい。

ストーカーの管理人、愛人呼ばわりする認知症女性、ダブルでショックを
受けていた私に、ちょっと楽しいご近所さんができたことが救いだった。

いずれこのお向かいさんとはもっと交流を深め、今では仲の良い友人になっている。

つづく
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